岩瀬藩(読み)いわせはん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「岩瀬藩」の意味・わかりやすい解説

岩瀬藩
いわせはん

陸奥(むつ)国岩瀬郡大久保村(福島県須賀川(すかがわ)市)を中心に置かれた藩。大久保藩ともいう。『廃絶録』によると、1682年(天和2)播磨(はりま)国(兵庫県)明石(あかし)6万石、本多政利(ほんだまさとし)〔譜代(ふだい)〕は不行跡、藩政不行届きによって領地を没収され、岩瀬郡大久保など11か村、1万石を与えられた。しかし1693年(元禄6)女色にふけり、侍女を理由なく殺害するなどの不行跡で改易となり、庄内(しょうない)藩預けとなり、岩瀬大久保藩はわずか12年で消滅した。その後1700年(元禄13)水戸藩主徳川頼房(よりふさ)の五男松平頼隆(よりたか)が、岩瀬郡と常陸(ひたち)国内で3万石を与えられて分立。岩瀬郡内には長沼(須賀川市)に陣屋を置き、18か村1万6000石を支配し幕末に至った。長沼藩ともいう。

誉田 宏]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「岩瀬藩」の意味・わかりやすい解説

岩瀬藩
いわせはん

江戸時代前期,陸奥国岩瀬郡地方 (福島県) を領有した譜代小藩。天和2 (1682) 年明石藩主本多政利が改易ののち旧会津藩領のこの地に1万石の岩瀬藩を興したが,元禄6 (93) 年除封,のち白河藩領の一部となる。

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