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島津忠国 しまづ ただくに

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

島津忠国 しまづ-ただくに

1403-1470 室町時代の武将。
応永10年5月2日生まれ。島津久豊(ひさとよ)の子。島津氏9代。応永32年薩摩(さつま)・大隅(おおすみ)・日向(ひゅうが)の守護職をつぐ。永享2年(1430)島津久林をうち,総州家島津氏をほろぼす。弟用久(もちひさ)を守護代に起用して国人一揆(いっき)平定にあたらせる。嘉吉(かきつ)元年将軍足利義教(よしのり)に追われる弟の足利義昭(ぎしょう)を自刃(じじん)させ,琉球支配をゆるされたという。文明2年1月20日死去。68歳。初名は貴久。通称は又三郎。

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朝日日本歴史人物事典の解説

島津忠国

没年:文明2.1.20(1470.2.21)
生年:応永10.5.2(1403.5.22)
室町時代の薩摩(鹿児島県)・大隅(同)・日向国(宮崎県)守護。久豊の嫡子。修理大夫,陸奥守。奥州家の家督として応永28(1421)年以降,薩摩守護系総州家の島津忠朝・守久を攻略して追放し,奥州家の地位を安定させた。その後,薩摩国守護代の弟用久と対立する。このころ将軍足利義教の弟大覚寺義昭が日向に下向するが,嘉吉1(1441)年,忠国は日向国櫛間院(串間市)で義昭を暗殺し,室町幕府から認知を獲得,用久らの勢力を弱体化させ,文安5(1448)年和解に持ち込んだ。近世初期,大覚寺義昭事件は,幕府から琉球を付庸する権限の裏付けとされ(「嘉吉付庸」),薩摩藩の琉球支配の根拠とされるに至った。<参考文献>福島金治『戦国大名島津氏の領国形成』

(福島金治)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の島津忠国の言及

【大隅国】より

…旧国名。隅州。現在の鹿児島県の一部。鹿児島湾奥の海岸部と内陸部,大隅半島部,半島西南海上の種子島・屋久島等の島嶼部の三つからなる。
【古代】
 西海道に属する中国(《延喜式》)。はじめ日向国の一部をなし,襲国(そのくに)ともよばれ,熊襲(くまそ)・隼人(はやと)の根拠地とみなされていた。割拠の豪族として大隅直(あたい)や曾君(そのきみ),加士伎県主(かしきあがたぬし),肝衝(きもつき)などの名があり,大隅隼人の首領大隅直の地盤と目される半島東南部肝属(きもつき)川一帯に高塚式古墳が少なくない。…

【日向国】より

…旧国名。日州。現在の宮崎県および鹿児島県の一部。
【古代】
 西海道に属する中国(《延喜式》)。日向ははじめは九州南部一帯の呼称で熊襲,隼人の居住地をいった。8世紀初めまず薩摩国を分出し,ついで713年(和銅6)に日向国肝坏(きもつき),贈於(そお),大隅,姶(あいら)の4郡を分割して大隅国を設置し(《続日本紀》),九州南部の一国としての境域が確定した。《延喜式》によれば臼杵,児湯(こゆ),那珂,宮崎,諸県(もろかた)の5郡より成り,国府は児湯郡(現,宮崎県西都(さいと)市三宅国分)に置かれた。…

※「島津忠国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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