ベロッキオ(読み)べろっきお(その他表記)Andrea del Verrocchio

デジタル大辞泉 「ベロッキオ」の意味・読み・例文・類語

ベロッキオ(Andrea del Verrocchio)

[1435ころ~1488]イタリア彫刻家・金工家・画家。写実的な作品を残した。ブロンズ像「コレオーニ将軍騎馬像」など。

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精選版 日本国語大辞典 「ベロッキオ」の意味・読み・例文・類語

ベロッキオ

  1. ( Andrea del Verrocchio アンドレア=デル━ ) イタリアの彫刻家、画家。フィレンツェにおける代表的工房を運営。レオナルド=ダ=ビンチなどを輩出。彫刻に「コレオーニ騎馬像」、絵画に「キリスト洗礼」など。(一四三五‐八八

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ベロッキオ」の意味・わかりやすい解説

ベロッキオ
べろっきお
Andrea del Verrocchio
(1435―1488)

イタリアの金工家、彫刻家、画家。父ミケーレ・ディ・フランチェスコ・チオーニはフィレンツェの煉瓦(れんが)製造業者。姓はおそらく師の金工家ジュリアーノ・デル・ベロッキオから受け継ぐ。かつてドナテッロから彫刻を学び、バルドビネッティから絵画を習ったとされ、近年では同時代の大理石作家との関係が説かれるが、初期の活動については確かでない。1460年代の後半からメディチ家の庇護(ひご)も受け、大規模な工房を営んでフィレンツェ美術界に指導的役割を演じた。サン・ロレンツォ聖堂にメディチ家ゆかりの2基の墓碑、別荘ビラ・カレッジの噴水として青銅の『イルカを抱く小童像』(現在パラッツォ・ベッキオ)、フィレンツェ大聖堂洗礼堂の銀製祭壇の一部浮彫り、ピストイア大聖堂内のフォルテグエリ記念像の制作などがある。

 彼はブロンズ、大理石、テラコッタなど、各種の材料を用いて高度な技法を開発し、生動感豊かな写実的作風に品位を与え、工芸的な装飾性を加味した。1476年ごろの青銅像『ダビデ』(バルジェッロ美術館)はドナテッロの先行する作品と比較して、知性的な描写力と洗練された明暗処理、鋭敏で貴族的な感受力を示すベロッキオ独自の芸術的個性を代弁している。また83年にオルサンミケーレ聖堂外壁の龕(がん)に設置された青銅群像『キリストと不信の聖トマス』は、2人の人物にそれぞれ荘重な表情や優雅な姿態を表現し、両者の対面に旋回を加えた動的な構成と調和のとれた比例関係を達成した傑作。晩年、ベネチア政府の依頼で大作『コレオーニ将軍騎馬像』の原型を制作した。彼の客死で鋳造と台座の完成はレオパルディAlessandro Leopardi(?―1522/23)に託されたが、工房での科学的探究の成果や解剖学的知識を駆使した人馬の力感あふれる勇壮な運動表現によって、当代の堅実な自然主義を代表する記念碑となっている。一方、絵画活動は『キリストの洗礼』(ウフィツィ美術館)など、彫刻に比べると限られるが、この絵の共作で話題となったレオナルド・ダ・ビンチをはじめ、ペルジーノ、クレディLorenzo di Credi(1459―1537)ら、画家として有能な多くの門人を輩出させた。

[上平 貢]

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百科事典マイペディア 「ベロッキオ」の意味・わかりやすい解説

ベロッキオ

イタリアの画家,彫刻家。フィレンツェに生まれ,金工家として知られたが,ドナテロに彫刻を学び,師なきあとフィレンツェの代表的彫刻家として活動。初期の《ダビデ》(1470年―1475年ころ,フィレンツェ,バルジェロ国立美術館蔵),晩年のオルサンミケーレ教会の《トマスの懐疑》(1466年―1483年)が代表作とされ,ベネチアのサンティ・ジョバンニ・エ・パオロ広場の《コレオーニ将軍騎馬像》はドナテロの《ガッタメラータ将軍騎馬像》とともにルネサンスの騎馬像の傑作。画家としては,レオナルド・ダ・ビンチの師として知られ,彼との合作になる《キリストの洗礼》(1470年―1474年ころ,ウフィツィ美術館蔵)がある。
→関連項目ピエロ・ディ・コジモペルジーノボッティチェリ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ベロッキオ」の意味・わかりやすい解説

ベロッキオ
Verrocchio, Andrea del

[生]1435. フィレンツェ
[没]1488. ベネチア
イタリア・ルネサンスの彫刻家,金工家,画家。本名は Andrea di Michele di Francesco Cione。ドナテロとバルドビネッティに学んだとされる。多才な美術家であったが,とりわけ彫刻と金工の分野に最も力を注ぎ,絵画活動は 1470~80年に限られている。作品はウフィツィ美術館の『キリストの洗礼』 (レオナルドとの共作) やピストイア大聖堂祭壇画 (クレーディらと共作) など。彼はメディチ家から厚遇された。彫刻作品は,メディチ家の別荘ビラ・カレッジのための青銅噴水『いるかと戯れる童児』 (パラッツォ・ベッキオ) ,バルジェロ国立美術館の『貴婦人像』,76年頃の青銅像『ダビデ』 (バルジェロ国立美術館) などがあり,83年,オルサンミケーレ聖堂外壁の聖龕内に置かれた『聖トマスの懐疑』は,キリストのおごそかな面貌表現,両者の位置の深い配慮,比例の美しい姿態で,当時絶賛を博した。さらに 81年,ベネチア政府と契約された最晩年作『コレオーニ騎馬像』 (1488,彼の死で,その鋳造と台座はレオパルディが完成) は,師ドナテロの『ガッタメラータ将軍騎馬像』にも劣らない堂々とした記念碑となった。弟子の育成にも定評があり,レオナルド,ペルジーノ,クレーディらのすぐれた美術家がその門下から輩出した。

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改訂新版 世界大百科事典 「ベロッキオ」の意味・わかりやすい解説

ベロッキオ
Andrea del Verrocchio
生没年:1435-88

イタリアの画家,金工家,彫刻家。フィレンツェに生まれ,金工の修業ののち,おそらくドナテロに彫刻を学んだと思われる。15世紀後半のフィレンツェで最も繁盛した工房の一つを経営し,多数の弟子とともにメディチ家をはじめとする顧客のためにあらゆる種類の美術品を制作。彼の作と断定できるきわめて少数の絵画の一点《キリストの洗礼》は,晩年の弟子レオナルド・ダ・ビンチが画中の一天使を描いたとされる。彫刻ではブロンズを得意とし,卓越した技巧に裏づけされた,軽快な写実性と洗練された優雅さを兼ね備えた作風を示す。終始ドナテロを意識し,乗り越えようとしたと思われるが,彼の彫刻は基本的に繊細かつ流麗で,ドナテロの激情的なドラマ性とは異質のものであった。ベロッキオの多才と優美さは,レオナルドにおいて,より内面的な資質として継承された。
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世界大百科事典(旧版)内のベロッキオの言及

【レオナルド・ダ・ビンチ】より

…いずれにしても,聖母がきわめて多く描かれ,母性なるものが彼の重要な主題であったことは確かである。父親がレオナルドを,15歳のころフィレンツェのベロッキオの工房に入れたのは,すでに少年が動物や植物や人間などを鋭く観察し描きとどめる才能に秀でていたからであった。ベロッキオの工房は,絵画のみならず彫刻,建築,各種の工芸デザインや工学的技術を擁する多角的工房であったため,レオナルドはそこでそれらの基礎的知識をすべて習得し,1472年画家組合に加入したのちも76年まで同工房にとどまった。…

※「ベロッキオ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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