日本歴史地名大系 「崇徳院社」の解説 崇徳院社すとくいんしや 京都市:左京区聖護院村崇徳院社崇徳上皇と左大臣藤原頼長を祀っていた社で、現存しない。位置について「山州名跡志」は「今云崇徳田、此地洛陽春日通今丸太町東北ニ中ル」と記し、現京都市左京区聖護院(しようごいん)にあたる。保元の乱に敗れた上皇は讃岐に配流、頼長も憤死、その祟りをおそれて寿永三年(一一八四)四月に二人を祀った。「吉記」同月一五日条に「今日、崇徳院・宇治左大臣、為崇霊神、建仁祠、有遷宮、以春日河原為其所、保元合戦之時、彼御所跡也。当時為上西門院御領、今被申請被建之」とある。社殿の造営に関しては「平家物語」巻一〇に「崇徳院を神とあがめたてまつるべしとて、むかし御合戦ありし大炊御門が末に社をたてて宮うつしあり。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by