朝日日本歴史人物事典 「嵐小六」の解説
嵐小六(初代)
生年:宝永7(1710)
江戸中期,上方の歌舞伎役者,座本。屋号吉田屋。俳名紫朝など。通称小七。3代目嵐三右衛門の門弟。吉田小六の名で子供芝居,中芝居を勤め,嵐小六と改めて享保12(1727)年若衆形として京都夷屋吉郎兵衛座で大芝居の初舞台を踏む。のち若女形に転じて極上上吉にまで位を上げた。晩年には5代目三右衛門として立役も勤めた。安永4(1775)年と翌年に京坂で一世一代(引退興行)。器量に恵まれ,時代物,世話物また所作事,武道事,濡れ事と諸芸を器用にこなしたが,芸自慢で役の性根をおろそかにするのが難であった。当たり役は「蘆屋道満大内鑑」の葛の葉など。名跡は明治初期の6代まである。<参考文献>『歌舞伎評判記集成』1,2期
(上野典子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報