嵐小六(読み)あらし・ころく

朝日日本歴史人物事典 「嵐小六」の解説

嵐小六(初代)

没年:天明6.7.26(1786.8.19)
生年:宝永7(1710)
江戸中期,上方歌舞伎役者,座本。屋号吉田屋俳名紫朝など。通称小七。3代目嵐三右衛門門弟。吉田小六の名で子供芝居,中芝居を勤め,嵐小六と改めて享保12(1727)年若衆形として京都夷屋吉郎兵衛座で大芝居の初舞台を踏む。のち若女形に転じて極上上吉にまで位を上げた。晩年には5代目三右衛門として立役も勤めた。安永4(1775)年と翌年に京坂で一世一代(引退興行)。器量に恵まれ,時代物,世話物また所作事,武道事,濡れ事と諸芸を器用にこなしたが,芸自慢で役の性根をおろそかにするのが難であった。当たり役は「蘆屋道満大内鑑」の葛の葉など。名跡は明治初期の6代まである。<参考文献>『歌舞伎評判記集成』1,2期

(上野典子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「嵐小六」の解説

嵐小六(初代) あらし-ころく

1710-1786 江戸時代中期の歌舞伎役者。
宝永7年生まれ。3代嵐三右衛門の高弟で,大坂,京都,江戸で活躍。女方と若衆方をかねた。「重井筒(かさねいづつ)」のお房の手綱染めの衣装を「小六染」としてはやらせた。安永5年一世一代として山姥(やまうば)をつとめたのち,出家し是心と号した。天明6年7月26日(一説に23日)死去。77歳。前名は吉田小六。後名は嵐三右衛門(5代),嵐小七(初代)。俳名は紫朝,雛助,杉鳥。屋号は吉田屋。

嵐小六(4代) あらし-ころく

1783-1826 江戸時代後期の歌舞伎役者。
天明3年生まれ。初代嵐雛助(のちの3代嵐小六)の子。嵐岩次郎の名で初舞台,のち8代嵐三右衛門,初代叶三右衛門,初代叶珉子を名のり,文化14年4代小六を襲名。京都,大坂で活躍し,江戸の5代岩井半四郎とともに東西女方の大関といわれた。文政9年11月15日死去。44歳。俳名は紫朝,珉子,湖鹿。屋号は吉田屋。

嵐小六(5代) あらし-ころく

?-1858 江戸時代後期の歌舞伎役者。
3代嵐小六(初代嵐雛助)の5男。4代嵐小六の弟。叶八十次郎の名で大坂の舞台にたち,文化14年2代叶珉子を名のる。江戸にでて,天保(てんぽう)14年5代小六を襲名。若女方を得意とし,のち年増(としま)・老女役を演じた。安政5年8月死去。俳名は珉子。屋号は吉田屋。

嵐小六(2代) あらし-ころく

嵐三右衛門(あらし-さんえもん)(7代)

嵐小六(3代) あらし-ころく

嵐雛助(あらし-ひなすけ)(初代)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

ドクターイエロー

《〈和〉doctor+yellow》新幹線の区間を走行しながら線路状態などを点検する車両。監視カメラやレーザー式センサーを備え、時速250キロ以上で走行することができる。名称は、車体が黄色(イエロー)...

ドクターイエローの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android