嵐雛助(読み)あらしひなすけ

改訂新版 世界大百科事典 「嵐雛助」の意味・わかりやすい解説

嵐雛助 (あらしひなすけ)

歌舞伎俳優。初世嵐小六が,2世市川団十郎からもらった俳名雛助(すうじよ)を訓読みにして息子の芸名にしたのが始まり。10世まであり,初世と2世が有名。(1)初世(1741-96・寛保1-寛政8) 初世嵐小六(後に5世嵐三右衛門)の実子で,幼名を岩次郎。俳名眠子(みんし),眠獅。1751年(宝暦1)大坂三桝座で初舞台,雛助を称す。青年期は女方,後に立役に転じ,公家悪を得意としたが,所作事にも秀で,94年(寛政6)には三都随一の無類の位にまで上った。叶(かのう)姓を称したが,後には父の名をついで3世小六となる。石川五右衛門や藤原時平が当り役で《時平の七笑》は彼の工夫による。八文字屋自笑により《眠獅(みんし)選》と題する一代記が書かれた。(2)2世(1774-1801・安永3-享和1) 初世の長男。幼名を秀之助。俳名可晴,虎枝,眠獅。94年雛助を襲名。後に江戸に下り,市村座で《楼門》の五右衛門や《六歌仙》で好評を得た。
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新撰 芸能人物事典 明治~平成 「嵐雛助」の解説

嵐 雛助(10代目)
アラシ ヒナスケ


職業
歌舞伎俳優

本名
今井 正男(イマイ マサオ)

別名
前名=中村 蝶太郎,中村 雛助(10代目)

屋号
吉田屋

生年月日
大正2年 10月4日

出身地
東京都

学歴
本郷元町尋常小卒

経歴
初代中村吉右衛門に入門して、大正9年、中村蝶太郎の芸名で初舞台。昭和16年、関西歌舞伎に移り、18年10代目雛助を襲名した。「土屋主税」の侍女お園、「仮名手本忠臣蔵」の顔世御前が当たり役だった。

受賞
大阪府民劇場奨励賞〔昭和33年〕

没年月日
昭和61年 1月29日 (1986年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「嵐雛助」の解説

嵐 雛助(10代目)
アラシ ヒナスケ

昭和期の歌舞伎俳優



生年
大正2(1913)年10月4日

没年
昭和61(1986)年1月29日

出身地
東京都

本名
今井 正男(イマイ マサオ)

別名
前名=中村 蝶太郎,中村 雛助(10代目)

屋号
吉田屋

学歴〔年〕
本郷元町小学校卒

主な受賞名〔年〕
大阪府民劇場奨励賞〔昭和33年〕

経歴
初代中村吉右衛門に入門して、大正9年、中村蝶太郎の芸名で初舞台。昭和16年、関西歌舞伎に移り、18年10代目雛助を襲名した。「土屋主税」の侍女お園、「仮名手本忠臣蔵」の顔世御前が当たり役だった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「嵐雛助」の解説

嵐雛助(初代)

没年:寛政8.3.29(1796.5.6)
生年:寛保1(1741)
江戸中期の歌舞伎役者。初代嵐小六の子。俳名眠獅。屋号吉田屋。宝暦2(1752)年,嵐雛助の名で大坂角の芝居の初舞台を踏み,所作事で天才の芽を窺わせた。16歳で女形となり,32歳で上上吉の評を得ながら,立役に転向善悪さまざまな役柄を演じて高評を得た。特に「天満宮菜種御供」での実悪の藤原時平,所作事の「化粧六歌仙」など芸品すぐれ,寛政7(1795)年以降は無類上上吉の評を得た。このころ,3代目嵐小六を継ぎ,「小六玉」と称され,給金年1200両余。見物喝采を嫌い,科を控えて役の性根を十分に表す演技力の持ち主だった。雛助の名跡は昭和期までに10代を数えた。<参考文献>八文字屋自笑『眠獅選』『玉の光』(『上方役者一代記集』上方芸文叢刊4巻)

(青木繁)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「嵐雛助」の解説

嵐雛助(初代) あらし-ひなすけ

1741-1796 江戸時代中期-後期の歌舞伎役者。
寛保(かんぽう)元年生まれ。初代嵐小六の子。父の俳名雛助(すうじょ)の訓読みを芸名として12歳で初舞台。安永4年若女方から立役(たちやく)に転じ,大坂,京都で活躍。天明6年叶に改姓,寛政6年3代嵐小六を襲名。公家悪を得意とした。寛政8年3月29日死去。56歳。幼名は嵐岩次郎(初代)。俳名は眠獅。屋号は吉田屋。

嵐雛助(6代) あらし-ひなすけ

1812-1847 江戸時代後期の歌舞伎役者。
文化9年生まれ。7代市川団十郎に入門,京都,大坂,江戸の舞台で活躍。天保(てんぽう)9年6代嵐雛助を,翌年3代叶雛助を襲名。地芸,所作事を得意とし,時代物にすぐれた。弘化(こうか)4年7月3日死去。36歳。江戸出身。前名は市川鯉三郎,市川新車。俳名は登升。屋号は成田屋。

嵐雛助(7代) あらし-ひなすけ

?-1872 幕末-明治時代の歌舞伎役者。
4代市川鰕十郎(えびじゅうろう)の門弟。嘉永(かえい)2年(1849)4代叶雛助を,安政5年7代嵐雛助を襲名。江戸,大坂,京都で活躍し,和事,老役(ふけやく)を得意とした。明治5年2月死去。初名は市川当太郎。前名は市川紅粉助。別名に市川叶升。俳名は可升。屋号は成田屋。

嵐雛助(2代) あらし-ひなすけ

1774-1801 江戸時代後期の歌舞伎役者。
安永3年生まれ。初代嵐雛助の長男。寛政6年2代目を襲名。「石川染」の五右衛門で大当たりをとる。京都,大坂で活躍したのち,江戸で評判をたかめたが,寛政13年2月4日死去。28歳。初名は叶秀之助。前名は中村十蔵(3代)。俳名は可晴,虎枝,眠獅。屋号は吉田屋,成田屋。

嵐雛助(4代) あらし-ひなすけ

?-? 江戸時代後期の歌舞伎役者。
2代嵐雛助の子。若衆方から立役(たちやく)となる。文政8年(1825)4代目を襲名。江戸で「忠臣蔵」の勘平,戸無瀬,石堂,岡島八十右衛門の4役を演じ評判をとったが,同年没したといわれる。前名は嵐秀之助(2代),嵐三十郎(6代)。俳名は眠獅。屋号は吉田屋。

嵐雛助(5代) あらし-ひなすけ

?-? 江戸時代後期の歌舞伎役者。
2代嵐雛助の門。若女方から立役(たちやく)に転じ,文政10年(1827)5代目を襲名。のち2代叶雛助,3代嵐小七とあらため,天保(てんぽう)8年(1837)ごろまで京都,大坂の舞台をつとめた。初名は嵐梅太郎。前名は叶梅太郎,嵐三十郎(7代)。

嵐雛助(3代) あらし-ひなすけ

1791-1813 江戸時代後期の歌舞伎役者。
寛政3年生まれ。初代嵐雛助の4男。文化5年3代目を襲名。江戸で演じた「忠臣蔵」の師直,「釜淵」の五右衛門などが好評を博した。文化10年9月17日死去。23歳。初名は嵐小三郎。俳名は富山。屋号は吉田屋。

嵐雛助(8代) あらし-ひなすけ

嵐三五郎(あらし-さんごろう)(6代)

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