嵐雛助(初代) あらし-ひなすけ
1741-1796 江戸時代中期-後期の歌舞伎役者。
寛保(かんぽう)元年生まれ。初代嵐小六の子。父の俳名雛助(すうじょ)の訓読みを芸名として12歳で初舞台。安永4年若女方から立役(たちやく)に転じ,大坂,京都で活躍。天明6年叶に改姓,寛政6年3代嵐小六を襲名。公家悪を得意とした。寛政8年3月29日死去。56歳。幼名は嵐岩次郎(初代)。俳名は眠獅。屋号は吉田屋。
嵐雛助(6代) あらし-ひなすけ
1812-1847 江戸時代後期の歌舞伎役者。
文化9年生まれ。7代市川団十郎に入門,京都,大坂,江戸の舞台で活躍。天保(てんぽう)9年6代嵐雛助を,翌年3代叶雛助を襲名。地芸,所作事を得意とし,時代物にすぐれた。弘化(こうか)4年7月3日死去。36歳。江戸出身。前名は市川鯉三郎,市川新車。俳名は登升。屋号は成田屋。
嵐雛助(7代) あらし-ひなすけ
?-1872 幕末-明治時代の歌舞伎役者。
4代市川鰕十郎(えびじゅうろう)の門弟。嘉永(かえい)2年(1849)4代叶雛助を,安政5年7代嵐雛助を襲名。江戸,大坂,京都で活躍し,和事,老役(ふけやく)を得意とした。明治5年2月死去。初名は市川当太郎。前名は市川紅粉助。別名に市川叶升。俳名は可升。屋号は成田屋。
嵐雛助(2代) あらし-ひなすけ
1774-1801 江戸時代後期の歌舞伎役者。
安永3年生まれ。初代嵐雛助の長男。寛政6年2代目を襲名。「石川染」の五右衛門で大当たりをとる。京都,大坂で活躍したのち,江戸で評判をたかめたが,寛政13年2月4日死去。28歳。初名は叶秀之助。前名は中村十蔵(3代)。俳名は可晴,虎枝,眠獅。屋号は吉田屋,成田屋。
嵐雛助(4代) あらし-ひなすけ
?-? 江戸時代後期の歌舞伎役者。
2代嵐雛助の子。若衆方から立役(たちやく)となる。文政8年(1825)4代目を襲名。江戸で「忠臣蔵」の勘平,戸無瀬,石堂,岡島八十右衛門の4役を演じ評判をとったが,同年没したといわれる。前名は嵐秀之助(2代),嵐三十郎(6代)。俳名は眠獅。屋号は吉田屋。
嵐雛助(5代) あらし-ひなすけ
?-? 江戸時代後期の歌舞伎役者。
2代嵐雛助の門。若女方から立役(たちやく)に転じ,文政10年(1827)5代目を襲名。のち2代叶雛助,3代嵐小七とあらため,天保(てんぽう)8年(1837)ごろまで京都,大坂の舞台をつとめた。初名は嵐梅太郎。前名は叶梅太郎,嵐三十郎(7代)。
嵐雛助(3代) あらし-ひなすけ
1791-1813 江戸時代後期の歌舞伎役者。
寛政3年生まれ。初代嵐雛助の4男。文化5年3代目を襲名。江戸で演じた「忠臣蔵」の師直,「釜淵」の五右衛門などが好評を博した。文化10年9月17日死去。23歳。初名は嵐小三郎。俳名は富山。屋号は吉田屋。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例