川中島藩(読み)かわなかじまはん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「川中島藩」の意味・わかりやすい解説

川中島藩
かわなかじまはん

近世初期、北信濃(きたしなの)4郡を領有した藩の俗称。当時更級(さらしな)、埴科(はにしな)、水内(みのち)、高井4郡を川中島四郡と通称したことから、次の諸領を川中島藩とよぶ文献が存する。1600年(慶長5)入封の森忠政(ただまさ)(4郡一円)、03年入封の松平忠輝(ただてる)(4郡一円、ただし10年越後(えちご)福島城へ移り北信濃の所領減少)、16年(元和2)入封の松平忠昌(ただまさ)(12万石)、18~22年の酒井忠勝(ただかつ)(10万石)。しかし、これらはいずれも松代(まつしろ)(待城、松城)城主なので、正しくは松代藩とよぶべきである。

 なお、1616~23年の岩城貞隆(いわきさだたか)・吉隆(よしたか)父子領1万石を川中島藩とよぶ著作があるが、その所在地が川中島でなく奥信濃であることが解明された現在、この呼称は適切でない。

[古川貞雄]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「川中島藩」の意味・わかりやすい解説

川中島藩
かわなかじまはん

江戸時代初期,信濃国 (長野県) 更級郡川中島地方を領有した藩。慶長5 (1600) 年より森忠政が 13万 7500石,同8年より松平忠輝 (家康の6男) が 12万石,元和2 (16) 年より松平 (越前家) 忠昌が 12万石を領し,同5年忠昌の越後 (新潟県) 高田転移後,福島正則が安芸広島改易によりこの地に寛永1 (24) 年まで4万 5000石を領したが,以後消滅した。

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