川和村(読み)かわわむら

日本歴史地名大系 「川和村」の解説

川和村
かわわむら

[現在地名]緑区川和町・いち町・大丸おおまる見花山みはなやま

谷本やもと川沿いに平地があり、八王子道が通る。道は南の佐江戸さえど村から入り、北の市ヶ尾村に抜ける。佐江戸村との境をかいさかとよぶ(風土記稿)丘陵がちの村で、とらやとねこやとむじなやと伊勢台いせだいなどの小名がある(同書)。東は丘陵続きに荏田えだ村・池辺いこのべ村、西は谷本川右岸の北八朔きたはつさく村・青戸あおと村に対する。北八朔村との間に精進場しようじんば(現精進橋)が架かり、両村および谷本村の共有。また青戸村との間にはかつて渡船があり、地蔵じぞう渡とよんでいた(同書)

小田原衆所領役帳に左衛門大夫殿「廿貫文 小机川和」とある。天正一四年(一五八六)一二月二五日の北条家裁許朱印状写(県史三)に「小机河輪郷」とみえる。


川和村
かわわむら

[現在地名]上野村川和

勝山かつやま村の西、蛇行しつつ東流する神流かんな川右岸に位置し、南部天丸てんまる(一五〇五・八メートル)がそびえ、北は乙母おとも村と接する。近世はおおむね幕府領。元禄一一年(一六九八)検地帳(黒沢文書)によると、畑屋敷合せて一一町四反五畝余・屋敷四五筆、山畑・切代畑・楮畑で七町九反余を占め、上畑は二反八畝余である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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