川股村
かわまたむら
[現在地名]西吉野村大字川股
宗川の支流川股川沿いの村。宗川郷のうち。慶長郷帳・元和郷帳では「川俣村」と記す。慶長郷帳の村高六八・二石、幕府領(代官大久保長安)。のち延宝検地により村高は一九五・〇一二石と約三倍に増えた。
明和二年(一七六五)七月、庄屋伊右衛門ら十数名が平尾村や日裏村に断りなく、高野山から大峯山上への参詣人を案内する目的で、山中に新道約一二〇町を切開いたため、日裏村との間に争論が起こった。
川股村
かわまたむら
[現在地名]引田町川股
馬宿川上流を川股川といい、西谷・荒倉谷などから支流が流れ込む。流域の小平地に集落があり、西谷山・清水山・総官山・ビク山など四〇〇―五〇〇メートル級の山に囲まれた山村。北は吉田村・黒羽村、南は阿波国に接する。川又とも記す。寛永国絵図では引田郷のうちで、河股・千足にあたる。寛永一七年(一六四〇)の生駒領高覚帳によると村高一三六石余。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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