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屋嘉比朝寄 やかびちょうき

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

屋嘉比朝寄
やかびちょうき

[生]享保1(1716).1.19.
[没]安永4(1775).1.18. 首里
琉球音楽家。楽才に秀で,尚穆王の命により薩摩に留学して謡曲,三味線などを学んだ。帰国して謡曲の普及に努め,また日本の三味線音楽の技法を取入れ,琉球の三線 (さんしん) の演奏法や唱法を改めて新しい流派を開き,当流 (とうりゅう) と称した。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

屋嘉比朝寄 やかび-ちょうき

1716-1775 琉球の三線(さんしん)(三味線)奏者。
尚敬王4年1月19日生まれ。尚敬王の命で薩摩(さつま)で謡曲と仕舞をまなぶ。帰国後,失明して三線に専念,謡曲の技法をとりいれた当流(とうりゅう)を樹立した。中国に範をとった琉球初の三線楽譜「屋嘉比工工四(くんくんしー)」を創案,琉球三線音楽中興の祖といわれる。尚穆(しょうぼく)王24年1月18日死去。60歳。首里出身。

出典|講談社
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朝日日本歴史人物事典の解説

屋嘉比朝寄

没年:尚穆24.1.18(1775.2.17)
生年:尚敬4.1.19(1716.2.11)
18世紀の沖縄古典音楽の演奏家で,当流の始祖。唐名向全謨。玉川按司朝雄の4男。若くして芸能の才を認められ,薩摩(鹿児島県)に上国して謡や仕舞を学んだ。帰国後,一度は官職につくが,間もなく眼病を患って盲目となり,官途に挫折。その後,照喜名聞覚より歌三線(三味線)を修得,これを継承発展,独自の芸風に大成し,その楽風はのちに「当流」と呼ばれた。また『屋嘉比工工四』と呼ばれる楽譜を残したが,これは当時断片的であった三線音楽の楽譜を整理・集成して,117曲から成る曲集に編んだもので,後世の沖縄音楽の規範となっており,現存する沖縄音楽最古の楽譜でもある。沖縄古典音楽の基本的内容は,屋嘉比において確立されたといえるが,その背景に屋嘉比の大和芸能の素養があることも見逃してはならない。<参考文献>池宮正治『近世沖縄の肖像』

(金城厚)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

やかびちょうき【屋嘉比朝寄】

1716‐75(享保1‐安永4)
沖縄の音楽家。琉球三線(さんしん)音楽中興の祖。琉球王府の玉川按司朝雄(たまがわあじちようゆう)の四男で,生来音楽的資質に恵まれ,尚敬王の命で薩摩に留学し,謡曲・仕舞を学んだ。三線は名人照喜名聞覚(てるきなもんかく)を師としたが,失明して三線に専念。謡曲の技法などを取り込んで,旧節に替わる当流(とうりゆう)と称する楽統を創始した。また中国に範をとった琉球初めての三線楽譜〈工工四(くんくんしい)〉を考案するなど,琉球音楽の保存とその近代化に貢献した。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

屋嘉比朝寄
やかびちょうき
(1716―1775)

沖縄三味線音楽「当流」の祖。照喜名聞覚(てるきなもんがく)(1682―1753)に師事し、師の没後、その唱法や三味線奏法に大改革を加えて「当流」を樹立。その改革は、彼が若いころ薩摩(さつま)(鹿児島県)で学んだ謡曲の荘重な唱法の導入と三味線奏法の簡略化にあった。さらに中国の工尺譜(こうしゃくふ)に倣って初めて三味線譜をつくり、これに117曲を書き留め、整理した。これは俗に「書き流し工六四(クルルンシー)」といわれ、後の野村流、安冨祖(あふそ)流の記譜法「工工四(クンクンシー)」のもとになった。後世の沖縄三味線音楽の発展と深化に多大な影響を与え、彼をこの分野の中興の祖とする。[當間一郎]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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