巨濃郡・岩井郡(読み)このぐん・いわいぐん

日本歴史地名大系 「巨濃郡・岩井郡」の解説

巨濃郡・岩井郡
このぐん・いわいぐん

因幡国の北東部にあり、東は但馬国、南・東は法美ほうみ郡、北は日本海に面する。古代から中世までの郡域は現在の岩美いわみ岩美町に相当し、近世初期以降は現福部ふくべ村も含み岩井郡と改称した。東部にうしみね山、南部に大茅おおかや山・稲葉いなば山、北西海岸部に駟馳しち山などがあり、海岸線まで山塊が迫る。南東から北西に蒲生がもう川が流れ、その西方を北流してきた小田おだ川と合流して日本海に注ぐ。西部を塩見しおみ川が北流して日本海に入る。蒲生川河口付近や北部海岸の一部に砂丘があり、塩見川河口西方には福部砂丘が広がる。それぞれ南にかつて潟湖であった小平野があり、各河川の中・下流域にも若干の平野がある。

〔古代〕

和名抄」東急本国郡部には郡名に「古乃」の訓を付す。郡名は中世以後巨野この(天正八年一一月二六日「山名豊弘宛行状」因幡民談記など)巨能この(天正九年一一月四日「羽柴秀吉掟書」間島文書など)とも記された。「三代実録」貞観四年(八六二)七月二八日条には「因幡国巨濃郡人中宮大属正六位上物部門起貫附右京職」とある。物部門起は当郡出身の中央下級官人で同書同六年五月一一日条には「右京人因幡権掾正六位上」とみえ、春道宿禰の姓を与えられた。同書同八年一〇月二五日条には因幡国巨濃郡人占部田主らが備中権史生大宅鷹取を傷つけ、その女子を殴殺したという記事がみえる。この事件の主犯は田主らを教唆したその「私主右衛門佐伴宿禰中庸」とされ、田主らは従犯であるとして一等を減じられ遠流に処せられた。「和名抄」高山寺本には生・大野おおの宇治うじ日野石井いわい高野たかの六郷を載せ、同書東急本では生は蒲生と記され、石井高野二郷に代えて罵城とき広田ひろたを載せる。郡衙の所在地は現岩美町岩井付近とする説と現同町新井にい付近とする説があるが、いずれも確証を欠く。条里地割は蒲生川中流域から西の蒲生川・小田川合流点付近で検出されている。現岩井には白鳳期の寺院跡岩井廃寺がある。「延喜式」神名帳には巨濃郡九座として「恩志呂オシロノ神社」「オオワノ神社」「佐弥乃サミノ兵主神社」「高野タカノヽ神社」「許野乃コヤノ兵主神社」「二上フタカミノ神社」「御湯ミユノ神社」「日野ヒノヽ神社」「甘露カムロノ神社」が記載される。古代官道山陰道の経路には諸説がある。但馬国から当郡南東の蒲生峠を越えたとする点では一致しているが、そのあとすぐ南進して法美郡に向かったとする説と、そのまま北西へ進み当郡を横断したとする説がある。また郡内の経路についても諸説が唱えられている。「延喜式」兵部省諸国駅伝馬条に載る「山埼」駅を現岩美町長谷ながたに付近、「佐尉さい」駅を現福部村細川ほそがわ付近とする説がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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