市原硬(読み)イチハラ カタシ

20世紀日本人名事典 「市原硬」の解説

市原 硬
イチハラ カタシ

昭和期の生理学者 大阪大学名誉教授;和歌山県立医科大学学長。



生年
明治29(1896)年5月2日

没年
昭和54(1979)年1月10日

出生地
島根県江津市

学歴〔年〕
大阪医科大学(現・大阪大学医学部)〔大正12年〕卒

学位〔年〕
医学博士〔昭和4年〕

主な受賞名〔年〕
日本学士院賞〔昭和35年〕,勲二等瑞宝章〔昭和41年〕

経歴
大阪帝国大学助教授を経て、昭和15年教授に就任、大学行政にも手腕を発揮する。35年定年退官し、のち名誉教授。36年和歌山県立医科大学教授、37年学長に就任し、同大の整備充実に尽力し付属病院の増改築などを行い、44年退官。研究主題アミノ酸の代謝に関するもので、キヌレニンを中心としたトリプトファン代謝の研究は古武弥四郎教授を助け多くの共同研究者を擁しその中心的役割を果たした。更にヒスチジン含硫アミノ酸に関する研究も国際的評価を受ける。また25年ビタミンCとアミノ酸代謝に関する研究で日本生化学総会で特別講演を行いビタミン学会賞、36年有核アミノ酸代謝の酵素学的研究で須田正巳と共に日本学士院賞を受賞した。日本学術会議会員をはじめ数多くの学会評議員として貢献した。著書蛋白質、アミノ酸の生化学」は古典として評価が高く、教科書「新医化学提綱」は全国的によく読まれた。絵画短歌もよくし随筆集「口多し」もある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「市原硬」の解説

市原硬 いちはら-かたし

1896-1979 昭和時代の生理学者。
明治29年5月2日生まれ。大阪帝大助教授をへて,昭和35年和歌山県立医大教授。2,3-アミノ酸の中間代謝およびこれに関する酵素の研究で,36年須田正巳とともに学士院賞。昭和54年1月10日死去。82歳。島根県出身。府立大阪医大(現阪大医学部)卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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