市岡忠男(読み)イチオカタダオ

デジタル大辞泉 「市岡忠男」の意味・読み・例文・類語

いちおか‐ただお〔いちをかただを〕【市岡忠男】

[1891~1964]野球選手・監督長野の生まれ。早大野球部の捕手、監督を経て読売新聞社入社。プロ野球球団大日本東京野球倶楽部クラブ巨人前身)の代表となり、職業野球発展に尽力した。

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20世紀日本人名事典 「市岡忠男」の解説

市岡 忠男
イチオカ タダオ

大正・昭和期の野球人 早稲田大学野球部監督;大日本東京野球倶楽部(東京巨人軍)代表。



生年
明治24(1891)年11月15日

没年
昭和39(1964)年6月23日

出身地
長野県飯田市

学歴〔年〕
早稲田大学〔昭和9年〕卒

経歴
京都一商、早大を通じて強打の名捕手。大正3年10月三大学リーグが結成され、6年早大主将、同年春芝浦で行われた極東オリンピックフィリピンを連破して優勝。14年秋飛田穂洲辞任の後をうけて早大監督となり、昭和3年辞任、読売新聞社に入った。9年米国大リーグ選抜チームを招き、また全日本軍監督となり、プロ野球チームを編成し、監督としてアメリカへ遠征、このチームが現在の巨人。帰国後その代表者となり、日本職業野球連盟創立委員長として貢献した。戦後は巨人顧問。37年野球殿堂入り。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「市岡忠男」の解説

市岡忠男 いちおか-ただお

1891-1964 大正-昭和時代の野球選手,監督。
明治24年11月15日生まれ。早大在学中は捕手,主将。大正14年早大の野球部監督。昭和9年全日本軍の監督としてアメリカ大リーグ選抜軍と対戦,日本初のプロ野球球団大日本東京野球倶楽部(クラブ)(現巨人軍)の代表となる。日本職業野球連盟創立委員長。37年野球殿堂入り。昭和39年6月23日死去。72歳。長野県出身。

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