布勢神社(読み)ふせじんじや

日本歴史地名大系 「布勢神社」の解説

布勢神社
ふせじんじや

[現在地名]魚津市布施爪

布施ふせ川左岸に鎮座する。旧村社。祭神は五十猛命・五十日足彦命。「延喜式」神名帳にみえる新川にいかわ郡七座のうちの「布勢フセノ神社」に比定される。「神名帳考証」に「布施神社、大彦命、射水郡布勢同神」とあり、大彦命を祖とする布勢氏は大和政権の北陸進出と深くかかわるとみられるが、詳細は不明。かつては布施爪ふせづめ大明神と称したが延喜年中(九〇一―九二三)に現社名に改称し、布施郷総社であったという(越中宝鑑)。かつては布施川対岸の布施爪村の飛地であるたち(現黒部市の朴谷地内)にあったが、寛文年中(一六六一―七三)に現在地に遷座したといわれ、舘には畠山重忠一族にかかわる伝説がある。


布勢神社
ふせじんじや

[現在地名]寒川町石田西

地蔵じぞう川の東、布勢池との間に鎮座。本殿背後には鬱蒼とした社叢がある。「延喜式」神名帳寒川郡の「布勢フセノ神社」に比定される。祭神は大彦命。式内社布勢神社については「讃陽綱目」「三代物語」等では現石田いしだ神社に比定しているが、「生駒記」には「石田村にあり、今の荒神の社なり、社地の辺を布勢という」と記し、「讃岐国官社考証」も当社にあてている。寛文九年(一六六九)の「御領分中宮由来」には「鎮守布勢之宮、是は神名帳に御座候由、古は官立も御座候所に、土佐乱に焼所仕候由申伝候、其後再興も無御座候」とあり、当時は荒廃していたようである。


布勢神社
ふせじんじや

[現在地名]氷見市布施

旧村社。「延喜式」神名帳射水いみず郡一三座の一つとされる。祭神は四道将軍の一人として北陸道に派遣されたとされる大彦命。布勢氏は大彦命の子孫とされる。境内社に大伴家持を祀り、御影みかげ社と称するが、社殿は家持が度度遊覧したという景勝地布勢水海ふせのみずうみのほぼ中央にある丘陵布勢円ふせのまる山の上に建つ。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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