日本歴史地名大系 「布施御厨」の解説 布施御厨ふせのみくりや 長野県:長野市篠ノ井地区布施御厨現長野市篠ノ井布施(ふせ)の西・北方一帯に立地。「吾妻鏡」文治二年(一一八六)三月一二日条に載せる乃貢未済庄々注文に「布施本庄、布施御厨」とみえるが、いずれも本家(本所)名を欠いているため、以前に神貢を果していたためか、退転したためか確かなことは不明。「神鳳鈔」には「藤長御厨」の下に「同内布施御厨 同富部御厨」と並記され、肩書の「同」は藤長(ふじなが)の二宮をさし、次に布施御厨に冠した「同内」は藤長御厨の内を意味する。従って布施御厨・富部(とべ)御厨は一時、藤長御厨になったが、「神鳳鈔」記載時の嘉元(一三〇三―〇六)頃に再び分化独立して神役に従うようになった。建久三年(一一九二)の皇太神宮建久已下古文書には信濃国の伊勢神宮領として、麻績(おみ)・長田(おさだ)・藤長(ふじなが)・仁科(にしな)の四ヵ所を数えるのみであったから、この頃布施御厨はまだ藤長御厨の内にあったと考えられる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by