デジタル大辞泉 「常在霊鷲山」の意味・読み・例文・類語 じょうざい‐りょうじゅせん〔ジヤウザイリヤウジユセン〕【常在霊×鷲▽山】 「法華経」寿量品の自我偈げにある語。釈迦しゃかの寿命は永遠であり、常に霊鷲山にあって説法を続けているということ。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
精選版 日本国語大辞典 「常在霊鷲山」の意味・読み・例文・類語 じょうざい‐りょうじゅせんジャウザイリャウジュセン【常在霊鷲山】 〘 名詞 〙 ( 「法華経‐寿量品」にある自我偈(げ)の一句 ) 仏語。釈迦の寿命は永遠であり、仏身は常住であることを示すことば。方便のために入滅を示したが、実は常に説法し衆生を済度しているということ。仏を念ずるおり、よく唱えられる。常在霊山。[初出の実例]「寿量品の常在霊鷲山の有様、すべて言ふべきにあらず」(出典:栄花物語(1028‐92頃)もとのしづく) 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例