デジタル大辞泉
「霊鷲山」の意味・読み・例文・類語
りょうじゅ‐せん〔リヤウジユ‐〕【霊鷲山】
《〈梵〉Gṛdhrakūṭa-parvataの訳》古代インドのマガダ国の首都、王舎城の北東にあり、釈迦が法華経などを説いた山。山頂の形が鷲に似るので、また山中に鷲がいたのでこの名があるという。現在のビハール州中部のラジギールにある。鷲の山。耆闍崛山。鷲峰山。霊山。
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りょうじゅ‐せんリャウジュ‥【霊鷲山】
- ( [梵語] Gṛdhrakūṭa-parvata の訳。禿鷲の頂という山の意 ) 古代インドのマガダ国の首都、王舎城の東北にあった山。釈迦が法華経や無量寿経などを説いた所として著名。山中に鷲が多いからとも、山形が鷲の頭に似るからともいわれる。耆闍崛山(ぎしゃくっせん)。鷲山(じゅせん)。霊山。鷲嶺。わしの山。りょうぜん。
- [初出の実例]「瑠璃の経巻は霊鷲山の暁の空よりも緑なり」(出典:栄花物語(1028‐92頃)浅緑)
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霊鷲山
りょうじゅせん
サンスクリット語でグリドラクータG
dhrakū
aといい、音写して耆闍崛山(ぎじゃくっせん)ともいう。釈尊時代、インドのマガダ国の首都王舎城(おうしゃじょう)(ラージャグリハ。現在のラージギルRājgir)を取り巻く五山のなかの一つで、その名は山頂が鷲(わし)の嘴(くちばし)に似ているからとも、山頂に鷲がすんでいたからとも伝えられる。釈尊はしばしばここにとどまり、『法華経(ほけきょう)』『大無量寿経(だいむりょうじゅきょう)』『観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)』などの多数の経典を説いたとされる。法顕(ほっけん)(335?―421?)、玄奘(げんじょう)(600/602―664)の旅行記には、山頂にれんが造の説法堂の遺跡があったと伝えている。また日本では「霊山浄土(りょうぜんじょうど)」あるいは「霊山現土」として、理想世界を象徴するものともなった。
[森 章司]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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霊鷲山 (りょうじゅせん)
古代インド,マガダ国の首都ラージャグリハ(王舎城)北東方の小高い峰。その頂が鷲の姿に見えることから,サンスクリットではグリドラクータGṛdhrakūṭa(〈鷲の峰〉の意)と呼ばれ,耆闍崛多(ぎしやくつた)と音写されるため,耆闍崛山(ぎしやくつせん)とも称される。霊鷲山は意訳で,霊山(りようぜん)とも略される。釈迦が説法した地として有名で,大乗経典の《法華経》《無量寿経》もここで説かれたとされる。現在はゆるやかな石畳が参道として頂上まで続き,頂上付近には阿難窟と呼ばれる自然の石窟があり,頂には祠堂の跡が残っている。
執筆者:三友 量順
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の霊鷲山の言及
【浄土】より
… 中国で浄土思想が流布し展開するとともに,本来は浄土思想と何らの関わりもなかった《法華経》に基づいて,霊山浄土という新しい浄土が出現した。霊山つまり霊鷲山(りようじゆせん)とは王舎城の近くにある山の名で,《法華経》が説かれたといわれる場所なのである。このほか,仏ではなく菩薩の世界なのに《華厳経》に基づき,東北方清涼山の文殊浄土や,南方[補陀落山](ふだらくさん)の観音浄土の信仰が行われるようになった。…
※「霊鷲山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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