日本歴史地名大系 「平和街道」の解説 平和街道へいわかいどう 岩手県:和賀郡平和街道北上市黒沢尻(くろさわじり)と秋田県横手市を結ぶ道。明治一三年(一八八〇)着工し、同二〇年全線開通した。当時横手と黒沢尻が所属した秋田県平鹿(ひらか)郡と和賀郡の頭文字をとり街道名としたという。路線は北上川の黒沢尻河岸を起点に、和賀川北岸に沿い江釣子(えづりこ)村宿(しゆく)(現江釣子村)―藤根(ふじね)村野中(のなか)―横川目(よこかわめ)村下村(したむら)―同村人当(ひとあて)(以上現和賀町)―湯田(ゆだ)村杉名畑(すぎなばた)―川尻(かわしり)―小繋沢(こつなぎざわ)―野々宿(ののしゆく)(以上現湯田町)―黒沢(くろさわ)―小松川(こまつかわ)―土淵(つちぶち)(以上現平鹿郡山内村)を経て横手に至る全長一六里二九町であった。 平和街道ひらわかいどう 秋田県:平鹿郡山内村平和街道平鹿郡横手町(現横手市)と和賀(わが)郡黒沢尻(くろさわじり)村(現岩手県北上市)を結び、両郡の頭文字をとった名で、へいわとも読む。明治以前の秋田領平鹿郡と南部領和賀郡を結ぶ道は白木(しろき)峠越えが中心であったが、標高六〇一・六メートルの険しい峠で、交通運輸には不便が多かった。また「秋田風土記」によれば黒沢(くろさわ)村と南部領菅生(すごう)村(現岩手県和賀郡湯田町巣郷)の間にも道があったが、あまり利用されなかった。明治五年(一八七二)小松川(こまつかわ)村および周辺の村々から秋田県令に、越中畑(えつちゆうはた)駅(現岩手県和賀郡湯田町)より黒沢・小松川を通り横手まで新開路を設けるよう陳情書が出された(「陸中江本道筋願書」山内村郷土資料)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by