平塚河岸
ひらづかかし
[現在地名]境町平塚
利根川と広瀬川の合流点、上武大橋の約六〇〇メートル上流の利根川左岸にあった。洪水の度に利根川、広瀬川、烏川の合流点が変わり、河岸の位置も移動した。対岸は中瀬河岸(現埼玉県深谷市)で渡しもあった。創設は慶長年間(一五九六―一六一五)末といわれる。当初は銅山街道の終点の足尾銅山(現栃木県上都賀郡足尾町)より産出する幕府御用銅の積出港としての特権をもっていた。元禄期(一六八八―一七〇四)より足尾銅の積出しは下流の前島河岸(現新田郡尾島町)に移ったが、その後も積替え河岸として繁栄。銅の輸送は当河岸をはじめとして周辺の河岸に役舟が課され、明暦三年(一六五七)に川舟奉行より出された役舟差出書付証文(北爪文書)によると、当河岸では役舟五艘が課されている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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