平忠房(読み)たいらのただふさ

朝日日本歴史人物事典「平忠房」の解説

平忠房

没年文治1.12(1185)
生年:生年不詳
平安末期の武将。丹後侍従と称される。平重盛,藤原経子の子。安元2(1176)年能登守。寿永2(1183)年,平氏都落ちに同行するが,文治1(1185)年の屋島の戦ののち,一門と別れて紀伊湯浅宗重を頼り,平氏家人を結集して源氏方の熊野湛増と戦うが,宗重の勧めで降伏,鎌倉に送られて斬られた。<参考文献>角田文衛『平家後抄』

(元木泰雄)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus「平忠房」の解説

平忠房 たいらの-ただふさ

?-1186* 平安時代後期の武将。
平重盛の6男。安元2年能登守となる。元暦(げんりゃく)2年2月の屋島の戦いのあと紀伊(きい)に湯浅宗重をたよる。源氏方とたたかったが,宗重の勧めで自首し,鎌倉におくられ,文治(ぶんじ)元年12月16日きられた。通称は丹後侍従。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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