朝日日本歴史人物事典「平忠房」の解説
平忠房
生年:生年不詳
平安末期の武将。丹後侍従と称される。平重盛,藤原経子の子。安元2(1176)年能登守。寿永2(1183)年,平氏都落ちに同行するが,文治1(1185)年の屋島の戦ののち,一門と別れて紀伊の湯浅宗重を頼り,平氏家人を結集して源氏方の熊野湛増と戦うが,宗重の勧めで降伏,鎌倉に送られて斬られた。<参考文献>角田文衛『平家後抄』
(元木泰雄)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
(元木泰雄)
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