デジタル大辞泉
「屋島」の意味・読み・例文・類語
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や‐しま【屋島・八島】
- [ 一 ] 香川県高松市の北東部にある陸繋島。テーブル状の溶岩台地(メサ)の典型で、古くは一島をなした。山腹は松におおわれ、瀬戸内海の絶好の展望台。源平の古戦場。
- [ 二 ] 謡曲。二番目物。各流。伝世阿彌作。「平家物語」による。旅僧が讚岐国八島の浦で塩屋に一夜の宿をこう。主(あるじ)の老漁夫は求められるままに源平合戦の様を語り、自分が義経の霊であるとほのめかして姿を消す。その夜、僧の夢の中に義経の亡霊が現われて、屋島の合戦で波に流された弓を命がけで拾いあげた弓流しの有様を語り、修羅道で苦しむさまを示す。勝修羅の一つ。
- [ 三 ] 幸若。作者不詳。[ 二 ]と同材。義経が佐藤継信・忠信の母の前で、屋島の合戦、忠信の武勇を語る。
- [ 四 ] [ 二 ]を取り入れた邦楽の曲名。
- (イ) 地歌。名古屋の藤尾勾当(こうとう)が安永(一七七二‐八一)頃に作曲。[ 二 ]の後半「釣のいとまも」以下を作曲。三下り。地歌舞や京舞でも舞う。
- (ロ) 荻江節。(イ)を明治一二年(一八七九)、四世荻江露友が荻江節に取り入れたもの。
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屋島
やしま
瀬戸内海に突き出た溶岩台地で、近世の埋立てにより半島状の陸繋島に変貌する以前は島であった。南嶺(二九二・一メートル)・北嶺(二八二メートル)の二つの頂上面をもち、南北約五キロ・東西約二キロ、周縁は天然の要害ともいえる海岸・絶壁である。北嶺に七世紀に築かれた古代城跡があり、南嶺山上に屋島寺がある。国の史跡・天然記念物に指定。
平安時代末期の治承・寿永の乱に際しては、一時、平氏が当地に本拠を構えた。寿永二年(一一八三)七月に都落ちした平家は九州をも追われ、同年閏一〇月頃屋島に落着き、この地を拠点として瀬戸内海の制海権を握って、南海・山陽地方に勢力を張った。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
屋島 (やしま)
香川県高松市北東部,高松港の東に海へ突き出す半島で,典型的なメーサ型開析溶岩台地。東西約2km,南北約5km。基盤の花コウ岩の上に凝灰岩をはさんで讃岐岩質安山岩が厚くのっている。頂上部は標高250~292mの平たん面が広がり,中部がくびれて,北嶺と南嶺に分かれる。谷部西側には7世紀中ごろに築かれた屋島城のものとされる遺跡が残る。東側の入江が壇ノ浦であるが,702年大宝律令により讃岐3軍団の一つとして屋島軍団が置かれ,〈軍団の浦〉から壇ノ浦の名がきたといわれる。1185年(文治1)源平の間で屋島の戦が展開され,壇ノ浦一帯にはその史跡が多い。ケーブルカー(2005年廃止),ドライブウェーの通じる南嶺には四国八十八ヵ所84番札所屋島寺があり,談古嶺(だんこれい)からは壇ノ浦古戦場が,獅子ノ霊巌からは高松市街が一望できる。北嶺の遊鶴亭(展望台)からの眺望もすばらしい。
執筆者:坂口 良昭
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
やしま【屋島】
香川県高松市屋島東町・屋島中町・屋島西町・高松町にある台地。屋島は、瀬戸内海に突き出した巨大な溶岩台地で、南北約5km、東西約3km、標高293mの半島である。今は陸続きになっているが、江戸時代初期まで周囲を海に囲まれた島であった。世界的にも珍しい古銅輝石(こどうきせき)安山岩からなり、浸食によりテーブル状の台地を形成したメサ型の溶岩台地の典型として知られる。頂上部が平坦で、その形状が屋根に似ているところから屋島と名付けられたという。周辺は古代から備讃瀬戸の交通の要とされたところで、屋島は軍事上の要衝として利用されてきた。白村江(はくすきのえ)の戦いの敗戦後、朝鮮からの攻撃に備えて、667年(天智天皇6)に大和の高安城、対馬の金田城などとともに屋島にも屋島城を築いたとされる。その遺構として、西側の谷に石塁跡などが残存している。平安時代末期には檀ノ浦一帯が源平合戦の場となった。また屋島北端の長崎鼻には、高松藩が築いた砲台跡がある。島内全域が1934年(昭和9)に国の史跡、天然記念物に指定された。山頂には四国霊場84番札所の屋島寺や源平合戦ゆかりの史跡などがあり、展望台からは備讃瀬戸の雄大な景観が見渡せる。高松琴平電鉄志度線琴電屋島駅からシャトルバスで屋島山上まで約10分。
出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報
屋島
やしま
香川県高松市北東部、備讃(びさん)瀬戸に突き出た台地状の半島。瀬戸内海国立公園に含まれる景勝地で、国の史跡・天然記念物に指定されている。源平の戦いのころは相引(あいびき)川によって本土と隔てられた島であった。基盤をなす花崗(かこう)岩の上に新生代第三紀後期の火山活動による凝灰角礫(かくれき)岩や讃岐(さぬき)岩質安山岩がほぼ水平に重なり、これが侵食されてメサとよばれる溶岩台地状の地形となっている。北嶺(ほくれい)(282メートル)と南嶺(292メートル)に分かれ、南嶺中央部には湖成層といわれる礫層があり、この山頂の平坦(へいたん)面が侵食を受け形成されたことを物語っている。南嶺には四国八十八か所の第84番札所屋島寺をはじめ、新屋島水族館、旅館、土産(みやげ)物屋などがある。また談古嶺(だんこれい)、獅子(しし)ノ霊巌(れいがん)、遊鶴(ゆうかく)亭などの展望地からは、高松平野のほか、五剣(ごけん)山、備讃瀬戸などの眺望がよい。山頂にはドライブウェーが通じ、南麓(なんろく)には四国民家博物館(四国村)、屋島神社などがある。山麓に広がるペディメントといわれる緩斜面では近年住宅地化が進んでいる。
[新見 治]
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屋島
やしま
香川県中部,高松市の北東部にあり,備讃瀬戸に突出する半島。最高点は 292m。史跡および天然記念物に指定。花崗岩類の上に凝灰角礫岩を挟み,讃岐岩質安山岩がある,テーブル型の開析された溶岩台地。瀬戸内海国立公園を代表する名所の一つとして知られる。元暦2(1185)年,屋島の戦いの頃は島であったが,海退と沖積作用,埋め立てや干拓により 1600年頃には半島となった。1929年南山腹に登山鉄道,1962年に南東部に屋島ドライブウェイが建設された。屋島台と呼ばれる山頂は南嶺,北嶺に分かれ,南嶺北部に四国八十八ヵ所第84番札所の屋島寺がある。南東麓の古戦場檀ノ浦には栽培漁業センター,県水産試験場,海水浴場などがある。
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出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
世界大百科事典(旧版)内の屋島の言及
【八島】より
…(1)能。観世流は〈屋島〉とも書く。[二番目物]。…
※「屋島」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」