平柿庄(読み)ひらがきのしよう

日本歴史地名大系 「平柿庄」の解説

平柿庄
ひらがきのしよう

現阿山町川合かわいにあった東大寺領。のち近衛家領を経て京都の東寺領になる。貞和二年(一三四六)一一月二〇日の僧明禅売券(長福寺文書)に、

<資料は省略されています>

とあるが、「おへのくわんをん」は大江おおえ観音であり、石滝せきりゆう寺は字大江石立せきりゆう寺の前身であろう。したがって平柿庄は大江地区周辺の地と断定できよう。天喜元年(一〇五三)三月二七日付の官宣旨案(三国地志)では「管阿拝郡内東大寺(野カ)庄并平柿庄新免田拾余町也、是等已前司公則朝臣之立券所々也、加之経数年庄、伊勢太神宮六十六町免田、東大寺玉滝杣・修理杣・平柿免田弐拾町也」と記されているから、前国司藤原公則の時、立券された荘園である。公則は永承(一〇四六―五三)頃、国司の任にあったので、当庄は一一世紀前半に成立したことになる。この地は鞆田ともだ村の東大寺の杣工らの出作により開発された形跡が濃い。永久三年(一一一五)五月二五日付の伊賀国東大寺領北杣出作田注進状(東南院文書)に「川合郷山内出作廿丁五反六十歩」とある傍注朱書に「加平柿出作五丁余定」と書かれており、この川合郷山内廿余丁は後の国衙と東大寺の相論にも鞆田庄の出作地とみなされている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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