日本歴史地名大系 「平等寺跡」の解説 平等寺跡びようどうじあと 奈良県:桜井市三輪・纏向地区三輪村大神神社平等寺跡[現在地名]桜井市大字三輪小字平等寺三輪(みわ)山の南西麓、大神(おおみわ)神社の南方にあり、南北三町、東西四町半という広大な境内を有した。明治初年に廃寺となったが、現在同名の寺院がある。大神神社の神宮寺で、真言宗。寺伝は聖徳太子の開基、慶円の中興としているが、大神神社所蔵の古絵図にみえる平等寺開山堂に慶円の像を祀っていたことから、慶円の三輪別所に始まることは明らかである。三輪別所の初見は、東大寺の宗性が記した「春華秋月抄草」の天福元年(一二三三)九月の奥書であるが、発足は貞応二年(一二二三)の慶円の死去以前にさかのぼる。三輪別所を平等寺と称したことは、同じく宗性が文暦二年(一二三五)八月に三輪別所平等寺大智(だいち)院で法華唯識般若三観抄(東大寺蔵)を写していることから明らかである。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by