改訂新版 世界大百科事典 「平群木菟」の意味・わかりやすい解説 平群木菟 (へぐりのつく) 武内宿禰(たけうちのすくね)の子で,平群氏の始祖といわれる伝説上の人物。〈ずく〉ともよぶ。《日本書紀》によると,5世紀ごろ彼はしばしば百済(くだら),加羅(から)に派遣され,新羅とも交渉をもったという。仁徳天皇の没後皇位継承争いがおきたが,彼は物部大前宿禰や阿知使主(あちのおみ)らと皇太子(のちの履中天皇)を助けたといわれる。なお,名前については,仁徳天皇と同日に生まれ,それぞれの産屋にとびこんだミミズクとミソサザイの名を交換してつけたとの説話がある。執筆者:原島 礼二 出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「平群木菟」の解説 平群木菟 へぐりの-つく 記・紀にみえる豪族。武内宿禰(たけしうちのすくね)の子。平群氏の祖とされる。仁徳(にんとく)天皇と同日に生まれたという。百済(くだら)(朝鮮),加羅(から)(朝鮮)につかわされるなど,外交で活躍し,仁徳天皇没後の皇位継承争いでは履中天皇をたすけたといわれる。「古事記」では名は都久とかく。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by