広江村
ひろえむら
[現在地名]倉敷市福田町広江・広江一―七丁目
福田村・福田古新田の南、鴨ヶ辻山(二八四・八メートル)の北麓から種松山(二五八・四メートル)の南麓に位置し、西は瀬戸内海に面していたが嘉永四年(一八五一)福田新田が開かれた。古くからの漁業集落であったと考えられる。「備前記」によると藤戸合戦の際、当地の西ノ浜から平行盛が乗船し水島へ落延びたという。
清田八幡神社の元和元年(一六一五)の上葺再興棟札に村名がみえる。
広江村
ひろえむら
[現在地名]輪島市町野町広江
寺地村の南、町野川右岸に位置。集落の南を西流する鈴屋川が西で町野川に合流する。天正一七年(一五八九)の給人知行高付帳(下時国家文書)に村名がみえ、北村三左衛門分として「三百弐拾六俵八升三合、広江村之内沙汰人分」、半田半兵衛分として「五百七拾九俵四斗壱升壱合、広江村成正分」とある。同四年一一月の下町野庄岩蔵年貢米上成算用状(上時国家文書)に「成正半名」とみえ、当地は古く岩蔵に属したことが知られる。
広江村
ひろえむら
[現在地名]東予市広江
周桑平野の海岸に近い低地集落で、広江川を隔てて南の今在家村と対している。
慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)の周布郡の項に「広江村 小川有」とみえ、高五一九石三斗三合、うち田方五〇三石一斗三升二合、畑方一六石一斗七升一合とある。天保一三年(一八四二)の「西条誌」によると、小松藩領の広江はもと石田村分で、のち分村したとある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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