広渡廃寺(読み)こうどはいじ

日本歴史地名大系 「広渡廃寺」の解説

広渡廃寺
こうどはいじ

[現在地名]小野市広渡町 竹ノ本など

加古川の中流域左岸、標高五二メートル程度の段丘上に立地する。土橋どばし廃寺とも称した。白鳳時代に創建され、平安時代前半まで存続した薬師寺式伽藍配置をとる寺院跡。昭和四八―五〇年(一九七三―七五)までに三次の発掘が行われている。金堂跡や西塔の基壇が残る。鎌谷木三次が調査した昭和一〇年頃には講堂の基壇と築地跡とみられる土塁があったという。金堂基壇は南東部を大きく損壊されているが、当初は東西約一五メートル・南北約一三メートルで、北面と南面がのちに拡張されて南北約一六メートルとなる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報