日本歴史地名大系 「広田城跡」の解説 広田城跡ひろたじようあと 岩手県:陸前高田市広田村広田城跡[現在地名]陸前高田市広田町 泊西に広田湾を見下ろす泊(とまり)の高館(たかだて)の高地にある。高館城ともいう。東西六〇〇メートル・南北五〇〇メートルの範囲に及ぶ。山頂は松林となっており、東西五〇メートル・南北三〇メートル余りのなだらかな部分が本丸跡で、地元では一の平(いちのたいら)とよばれ、その一隅に観音の小祠がある。南面の窪地を挟んで人家が密集する一の土壇から二の壇付近の広場が二の丸跡で、二の平(にのたいら)とよぶ。東面下方の県道沿いに花館(はなだて)という屋敷があり、南西の海岸近くに突き出した台地を小館(こだて)とよび、城郭より四、五百メートル南の丘に館(たて)という台地もある。「仙台領古城書上」には城主大和田掃部とみえる。 広田城跡ひろたじようあと 長崎県:佐世保市広田村広田城跡[現在地名]佐世保市広田町小森(こもり)川下流域の城(しろ)山(五七メートル)に築かれた中世の城館跡。牛盗(うしとり)城・牛ノ城ともいう。平戸松浦氏が南の大村氏に対して設けた番城とされる。天正一四年(一五八六)大村純忠が有馬氏・有田氏・波多氏と連合して当城などを攻めるが、松浦鎮信は父隆信とともにこれを撃退したという(印山記)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by