出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
福岡県北九州市八幡西区(やはたにしく)にある旧宿場町。江戸時代は筑前六宿(ちくぜんむしゅく)の一つとして栄え、福岡藩の支城が置かれた。明治中期以降、小野田セメント(1980年に工場閉鎖)、安川電機、黒崎窯業(ようぎょう)(現、黒崎播磨(はりま))、三菱(みつびし)化成(現、三菱ケミカル)などの工場が臨海部に立地し工業町となった。その後、JR鹿児島本線黒崎駅前に商店街が形成され、1979年(昭和54)に完成した再開発ビルによって商圏の拡大が図られ、北九州市第二の商業中心地になっている。しかし最近では、商店数が減少、集客力の低下がみられ、黒崎副都心地区再生計画が進められている。JRのほかに筑豊電気鉄道(ちくほうでんきてつどう)、国道3号が通じる。
[石黒正紀]
長崎県長崎市北西部、西彼杵半島(にしそのぎはんとう)西岸に位置する地区。旧黒崎村。江戸時代からの隠れキリシタンの村で、黒崎教会のほか、キリシタンを祀(まつ)った枯松(かれまつ)神社がある。
[編集部]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…人口3796(1995)。高さ100m以上の海岸段丘が発達する太平洋岸には,陸中海岸国立公園の黒崎など雄大な断崖絶壁が連続する。黒崎沖は資源の豊富な三陸漁場であり,漁業が主産業であるが,近年は養殖漁業への転換が進んでいる。…
…洞海湾の南岸を占め,背後に皿倉山(622m)などの山がそびえ,西部および北東部に低い第三紀層丘陵地が起伏する。宿場町で港もあった黒崎を除いて明治中期までは寒村にすぎなかったが,1897年官営八幡製鉄所(現,新日本製鉄)の建設が着工されてから急速に発展した。製鉄所が操業を開始した1901年以後,戦争のたびごとに拡張を重ね,化学,金属加工などの関連諸工業も発達し,北九州工業地帯の中核を形成した。…
…半島部では,農漁業が主産業であるが,労働力の流出が続き,過疎化に悩んでいる。南部の出津(しつ),黒崎地区には隠れキリシタンゆかりの集落が多く,明治初年に来日したフランス人ド・ロ神父の記念館などがある。海岸一帯は西彼杵半島県立自然公園に含まれる。…
※「黒崎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新