日本歴史地名大系 「庄兵衛新田」の解説 庄兵衛新田しようべえしんでん 茨城県:稲敷郡牛久町庄兵衛新田[現在地名]牛久町庄兵衛新田、茎崎(くきざき)村庄兵衛新田、龍ケ崎市庄兵衛新田町現在牛久沼周辺の市町村にある庄兵衛新田は、牛久の豪農桜井庄兵衛が牛久沼全域を干拓しようとして失敗した名残の地で、干拓中止の際に沼内堤防に囲まれた排水路を埋立てたものが中心となっている。庄兵衛は享保一二年(一七二七)から三七年間にわたって、多くの私財・幕府からの借入金を投じて干拓工事を行った。小貝(こかい)川から伊丹代(いたみだい)用水路を開削して牛久沼下流の灌漑用水を確保し、干拓地に流れ込む谷田部(やたべ)川(現東谷田川)・境松(さかいまつ)川(現西谷田川)の水を沼内堤防を築いて排水し沼全域を干拓する計画であったが、増水時の小貝川からの逆流、上流の河川からの流水によって堤防が破れ、度々干拓地は冠水の被害にあった。 庄兵衛新田しようべえしんでん 茨城県:龍ケ崎市庄兵衛新田[現在地名]龍ケ崎市庄兵衛新田町、稲敷(いなしき)郡牛久(うしく)町庄兵衛新田、茎崎(くきざき)村庄兵衛新田⇒庄兵衛新田(稲敷郡牛久町) 庄兵衛新田しようべえしんでん 茨城県:稲敷郡茎崎村庄兵衛新田[現在地名]茎崎村庄兵衛新田、牛久町庄兵衛新田、龍ケ崎市庄兵衛新田町⇒庄兵衛新田(牛久町) 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by