日本歴史地名大系 「庄左衛門新田」の解説 庄左衛門新田しようざえもんしんでん 埼玉県:草加市庄左衛門新田[現在地名]草加市氷川町(ひかわちよう)・西町(にしちよう)・松原(まつばら)一―三丁目・同五丁目・栄町(さかえちよう)三丁目立野(たての)村の東にあり、東と南は南草加村。北方の丁張(ちようはり)耕地などに飛地がある。古くは稗田(ひえだ)沼・丁張とよばれる野地で、当村左兵衛(野島氏)の先祖で近江浅井氏旧臣と伝える相馬庄左衛門盛門が開墾したという(「野島氏実録」野島家文書)。庄左衛門は埼玉郡立(たて)ノ堀(ほり)村に来住し、稗田沼に続いて丁張耕地を開いたともいわれ、また当村名主権左衛門(新井氏)は花栗(はなぐり)村の出自とも伝える。 庄左衛門新田しようざえもんしんでん 大阪府:大阪市住之江区庄左衛門新田[現在地名]住之江区西加賀屋(にしかがや)一―四丁目など村上(むらかみ)新田の西に位置し、南は住吉社(現住吉区)西の入江(現在の住吉川)。もと住吉郡出見(いでみ)浜の寄洲であったが、天保二年(一八三一)今在家(いまざいけ)村の村上庄左衛門が幕府の許可をえて開発に着手、同六年に検地をうけて八町余の新田となった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by