康平寺跡(読み)こうへいじあと

日本歴史地名大系 「康平寺跡」の解説

康平寺跡
こうへいじあと

国見くにみ山東麓一帯に堂宇があったと推定される。霜野山延寿院と号し、古くは天台宗、後に真言宗本尊千手観音。「一統志」によると康平年間(一〇五八―六五)勅命によって建立されたために寺名とし、開山は暁円という。同書には永仁二年(一二九四)異国降伏祈祷を行ったこと、後伏見天皇が祈祷寺としたこと、盛時には九九坊があり中興は禎重、大永二年(一五二二)内空閑氏が堂宇修理、禎喜が一二坊を再興したが寛文九年(一六六九)頃には幸満坊があったことなどが記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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