古くは《周官》ともいった。中国古代の礼書,三礼の一つ。西周王朝の行政組織を記述したものとされ,天官大宰,地官大司徒,春官大宗伯,夏官大司馬,秋官大司寇(だいしこう),冬官大司空の6人の長官に統帥される役人たちの職務が規定されている。これら六つの官は,理念的にはそれぞれ60の官職から成り,合計360という職務は1年の日数に対応するのだとされる。ただ冬官大司空の篇は古く失われ,漢代に替りに〈考工記〉が補われた。伝説的には,周公旦が周代初年に礼を制した際,この書物も編まれたとされるが,内容がそれにそぐわないことは,近人の銭穆〈周官著作年代故〉が詳論するところである。また前漢末の劉歆(りゆうきん)の偽作だとする主張もあるが,おそらくこの書物の主体になる部分は,戦国末期,天下が統一に向かう趨勢の中で,一つの統一国家像を描き出すため,以前からの種々の伝承をまとめて編纂されたものであろう。編纂の中心となったのは斉国の学者たちであったと推定されている。この書物は漢代にすでに〈六国陰謀の書〉と呼ばれ,王莽(おうもう)の新政権や王安石の新法実施などに際し政治的に利用されたほか,六官からなる政治体制は中国の官僚組織の根幹として後世にまで大きな影響を与えた。
執筆者:小南 一郎
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儒教経典。『儀礼(ぎらい)』『礼記(らいき)』とあわせて三礼(さんらい)とよぶ。原名は『周官(しゅうかん)』。前漢の武帝(ぶてい)期(前2世紀)に発見されたという。周公が周王国の官制を記した書として、劉歆(りゅうきん)はじめ古文学派に尊奉され、今文(きんぶん)学派の排斥にもかかわらず、後漢(ごかん)の鄭玄(じょうげん)の『周礼注』の盛行により、礼学上の権威を獲得した。ときに、現実の政治制度に一定の影響を与えた(新(しん)や北周など)。内容は、天地春夏秋冬の6部に分かれ、宮廷や財産関係の天官62種、地方行政や物産関係の地官76種、礼楽卜祝(ぼくしゅく)関係の春官69種、軍事や封建関係の夏官66種、司法や外交関係の秋官66種について、その員数と職務を詳述する。冬官は当初より欠け、工人の職務30種を記す『考工記』をもって補われている。『周礼』は、戦国以降に著述された理想上の職官書であるが、春秋戦国期の現実内容を反映する部分も多い。鄭玄の『周礼注』に基づき、唐の賈公彦(かこうげん)が『周礼注疏(ちゅうそ)』(『十三経(じゅうさんぎょう)注疏』の一つ)を著し、清(しん)末の孫詒譲(そんいじょう)は清朝考証学の成果を大成して『周礼正義』を著した。
[高橋忠彦]
『原田種成校閲、本田二郎著『周礼通釈』上下(1977、79・秀英出版)』
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経書(けいしょ)の一つ。周公旦(しゅうこうたん)の作で,周代の官制を述べた書と古来信じられた。『儀礼』(ぎらい)『礼記』(らいき)と合わせて三礼と称する。実際は秦漢時代の作で,周代の官制の事実を伝えているかどうかも疑わしい。
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…中国の礼に関する3種の古典,《周礼(しゆらい)》《儀礼(ぎらい)》《礼記(らいき)》の総称。《周礼》は《周官》ともいい,理想の官制をしるした行政法典。…
…死他界【内堀 基光】
【中国】
[葬礼]
中国は,礼の国と言われるほどに各種の儀礼が発達しているが,その中でも死者に対する葬礼は細微な点に及んで複雑である。それは,危篤が確認されたときから始まり,儒家の経典である《儀礼(ぎらい)》《礼記(らいき)》《周礼(しゆらい)》の三礼(さんらい)に基づいて進められる。賓客の来訪に備えて家を清掃し,病人を北牖(まど)の下に頭を東にして寝かせる。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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