建長(読み)ケンチョウ

デジタル大辞泉 「建長」の意味・読み・例文・類語

けんちょう〔ケンチヤウ〕【建長】

鎌倉中期、後深草天皇の時の年号。1249年3月18日~1256年10月5日。

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精選版 日本国語大辞典 「建長」の意味・読み・例文・類語

けんちょうケンチャウ【建長】

  1. 鎌倉時代、後深草天皇の代の年号。宝治三年(一二四九)三月一八日、天変火災により改元将軍藤原頼嗣・宗尊親王執権北条時頼の時代。建長八年(一二五六)一〇月、康元と改元。出典は「後漢書」の「建長久之策」。

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日本の元号がわかる事典 「建長」の解説

けんちょう【建長】

日本の元号(年号)。鎌倉時代の1249年から1256年まで、後深草(ごふかくさ)天皇の代の元号。前元号は宝治(ほうじ)。次元号は康元(こうげん)。1249年(宝治3)3月18日改元。天災の凶事を断ち切るために行われた(災異改元)。『後漢書(ごかんじょ)』を出典とする命名。建長年間の鎌倉幕府の将軍は藤原(九条)頼嗣(よりつぐ)(5代)、宗尊(むねたか)親王(6代)、執権は北条時頼(ときより)(5代)。北条氏への権力集中に不満を募らせていた三浦氏ら有力御家人は、若年の将軍藤原頼嗣を擁して北条氏に対抗、1247年(宝治1)には武力衝突に発展した(宝治合戦・三浦氏の乱)。この乱は北条氏と外戚の安達景盛(あだちかげもり)らによって鎮圧され、三浦氏は滅亡した。頼嗣は乱後も鎌倉にとどまり将軍の地位を保持したが、1251年(建長3)には謀叛への関与を疑われ、翌年に京都追放となる。代わって後深草天皇の異母兄である宗尊親王が鎌倉に迎えられ、将軍に就任した。

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