弓削田庄(読み)ゆげたのしよう

日本歴史地名大系 「弓削田庄」の解説

弓削田庄
ゆげたのしよう

現田川市西部の弓削田とその東側に隣接する川宮かわみや宮尾みやお町・奈良ならなどの中元寺ちゆうがんじ川下流域一帯に比定される法成ほうじよう(現京都市上京区)領庄園。領家職は摂(摂関)家に伝領された。嘉元三年(一三〇五)四月頃の成立とされる摂渡庄目録(九条家文書/鎌倉遺文二九)に法成寺領「弓削田庄」がみえ、給主は同寺執行法印、年貢米は三三五石余。暦応五年(一三四二)正月日の摂渡庄目録(同文書/南北朝遺文(九州編)二)でも同寺領で、年貢米も同額、給人は侍所勾当嗣長。当庄は藤原道長によって法成寺が建立された治安二年(一〇二二)頃には成立したと推測される。建久八年(一一九七)の豊前国図田帳写(到津文書/鎌倉遺文二)に宇佐宮領一四〇町として「(弓カ)削田庄」があげられるが、誤記か誤読の可能性が高い。現在、宮尾町に鎮座する旧郷社の春日神社が庄鎮守とみられる。正平九年(一三五四)一一月一五日の木屋行実軍忠状(木屋文書/南北朝遺文(九州編)三)などによれば、菊池武光に属した筑後国の木屋・草野両氏は筑前千手せんず(現嘉穂町)を攻略したのち、筑前から通ずる交通の要地烏尾からすお峠の東麓に位置する「弓削田御陣」で宿直・警固にあたっている。


弓削田庄
ゆげたのしよう

鎌倉時代から室町時代にかけて存在した庄園。庄域は各務原市那加なか地区に比定され、弓削庄とも記される。寛喜元年(一二二九)六月日の円性所領処分状案(久我家文書)に「美濃国弓削田庄」「弓削田庄加納」とみえ、平円性(平光盛)から嫡女安嘉門院宣旨局に当庄が、六女同院右衛門督局と七女同院内侍局に当庄加納の半分ずつが譲られている。加納の成立は鎌倉前期の後高倉院の時で、子孫相伝が真如しんによ(跡地は現京都市西京区)より認められている。もとは円性の父池大納言平頼盛の家領であったため(観応元年八月一三日「久我長通譲状写」同文書)、当庄の成立は平安末期にさかのぼる。弘安元年(一二七八)四月二一日、宣旨局は尾張真清田ますみだ(現愛知県一宮市)などを久我通忠の後室(宣旨局の妹)に譲っており、当庄の名はみえないが、この頃当庄も後室に譲られ、久我家領となっていたと思われる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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