弘前八幡宮(読み)ひろさきはちまんぐう

日本歴史地名大系 「弘前八幡宮」の解説

弘前八幡宮
ひろさきはちまんぐう

[現在地名]弘前市八幡町一丁目

近世には町町内の北側大部分の地域を境内が占め、参詣道が田町から大久保おおくぼ堰を越えて北に延び、境内に到達する。祭神誉田別尊・息長足姫命・比売大神。旧県社。

延宝八年(一六八〇)の最勝院支配堂社帳(市立弘前図書館蔵)に、創建は慶長一七年(一六一二)、創建者は津軽信枚、社領三〇石、同年の神主は光宮大夫、吉田よした(現中津軽郡岩木町賀田)から当地へ移動したとある。安政二年(一八五五)神社微細社司由緒調書上帳(最勝院蔵)には、八幡やわた(現岩木町)から移転したとある。万留帳(弘前大学蔵)によれば、弘前へ移転後、小野権太夫が社職を命ぜられ、また郡中社人頭并諸社支配となった。小野家は代々神主を務め、最勝さいしよう(現銅屋町)別当に任じられた。「新撰陸奥国誌」によれば、弘前の防衛鎮護として祀られたという。

寛永末年の津軽弘前城之絵図(櫛引元三氏蔵)には、参道を挟んで東側に別当最勝院と衆徒屋敷寺数六軒、西側に同じく衆徒屋敷寺数六軒が記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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