弘瀬郷(読み)ひろせごう

日本歴史地名大系 「弘瀬郷」の解説

弘瀬郷
ひろせごう

山田やまだ郷とともに石黒三箇いしぐろさんか庄のうちの一庄を構成するとされる。広瀬郷と記す史料もある。郷域は医王いおう山東麓の現福光町山本やまもと小山こやまたちなどを中心とする地域、その東側の同町天神てんじん竹内たけのうち小坂こさかなどを中心とする小矢部おやべ川西岸地域、さらにその東の同町高宮たかみや殿とのなどを中心とする小矢部川東岸地域の三つに区分される。弘安元年(一二七八)当時これら三地域はそれぞれ西方東方高宮たかみや村とよばれていた(同年七月五日「石黒庄内弘瀬郷東方領家地頭和与状」・同日「石黒庄内弘瀬郷高宮村領家地頭和与状」・正応二年四月二日「関東下知状」仁和寺文書)本家円宗えんしゆう(現京都市右京区)、領家職は鎌倉期以降京都仁和寺菩提ぼだい院に伝領された(弘安六年正月一〇日「了遍付属状」同文書など)。開発領主でその後地頭職を得る藤原氏の本拠は西方にあり、西方は惣領分と号された(年不明「石黒庄内広瀬郷領家方年貢請文」同文書)。おそらく開発は西方から東方、さらに高宮村へと進められたのであろう。宝治二年(一二四八)に作成された内検帳(同文書)によれば、見作田四一町二段五〇歩・新田四町四段九〇歩・勧農田五町八段一六〇歩で計五〇町余の規模であった。見作田のうち除田は一九町四段で、その内訳は神田五町七段(若宮二町・梅宮一町・温沸宮一町・天満七段・高宮三段・小白山七段)・人給田五町九段(京下使二町・千手丸二町・地頭一町・公文六段・六呂師一段半・紙免一反半)・御内免四町七段・領家佃三町一段。定田は二一町八段となる。なお郷内の名田のうち重松しげまつ名は地頭名、安丸やすまる名は預所名、千手丸せんじゆまる名も領主名であったらしい(前掲高宮村領家地頭和与状など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の弘瀬郷の言及

【石黒荘】より

…越中国砺礪波郡(現,富山県西砺波郡福光町)の荘園。鎌倉時代には10郷からなっており,山田郷・弘瀬郷で1荘,石黒上郷・同中郷・同下郷で1荘,吉江郷・太海(ふとみ)郷・院林郷・直海郷・大光寺郷で1荘というようにわかれ,総称して石黒三荘といった。小矢部川の上流域にひろがる広い荘園で,古代の川上郷の故地にあたる。…

※「弘瀬郷」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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