20世紀日本人名事典 「弘田里」の解説
弘田 里
ヒロタ サト
大正・昭和期の社会事業家
- 生年
- 明治2年5月1日(1869年)
- 没年
- 昭和25(1950)年2月22日
- 出生地
- 高知県土佐郡小高坂村(高知県高知市)
- 旧姓(旧名)
- 川田
- 学歴〔年〕
- 高知師範学校女子部〔明治18年〕卒
- 経歴
- 高知県下の小学校で教員を務めた。明治36年弘田束稲と結婚。大正2年よりアニー・ダウドが経営する高知女学会で教鞭を執る。11年に夫と死別。12年ダウド経営の種崎別荘に入り、住み込みで同所に収容されている虚弱児の養護・教育に当たった。昭和7年に同所が封鎖されると、独自の児童保育事業を興すことにし、8年小高坂(現・高知市)に無料保育園双葉園を開設。初年度より40人の児童が入園した同園は、以後も徐々に入園者が増加し、費用が嵩んできたため、大川寿賀を会長として後援会が結成され、県からも援助を受けられるようになった。15年同園が高知慈善協会に移管された後も児童保育に力を尽くし、21年に引退。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報