日本歴史地名大系 「弥富村」の解説
弥富村
やどみむら
現須佐町の中央に位置し、村の北、須佐村と
建武四年(一三三七)五月日付の虫追四郎左衛門尉政国申状案(益田家什書)に「今月十一日打出阿武郡内、追落小河関所、焼払弥富・福田・生賀以下」とあり、南北朝の争乱の折、石見の南朝軍によって焼き払われた。文和元年(一三五二)八月一三日付の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
現須佐町の中央に位置し、村の北、須佐村と
建武四年(一三三七)五月日付の虫追四郎左衛門尉政国申状案(益田家什書)に「今月十一日打出阿武郡内、追落小河関所、焼払弥富・福田・生賀以下」とあり、南北朝の争乱の折、石見の南朝軍によって焼き払われた。文和元年(一三五二)八月一三日付の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
二十四節気の一つで,二至 (夏至,冬至) ,二分 (春分,秋分) として四季の中央におかれた中気。元来,春分は太陰太陽暦の2月中 (2月後半) のことで,太陽の黄経が0°に達した日 (太陽暦の3月 2...