コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

張栻 ちょうしょく Zhāng Shì

2件 の用語解説(張栻の意味・用語解説を検索)

世界大百科事典 第2版の解説

ちょうしょく【張栻 Zhāng Shì】

1133‐80
中国,南宋時代の学者。字は敬夫(または欽夫)。南軒と号する。四川省綿竹出身。名門の家柄で,その父張浚(ちようしゆん)は宰相にのぼったのみならず,《紫巌(しがん)易伝》の作者としても著名。張栻は胡五峯(宏)に師事し,湖南学を授けられたが,31歳のとき朱熹(しゆき)(子)(当時34歳)と出会い,以後20年近い交友を通して,互いに大きな影響を与えあった。当時,朱熹,呂祖謙(東萊)とともに〈東南の三賢〉とたたえられたが,思想的円熟を待たず,50歳足らずで病没した。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説


ちょうしょく
(1133―1180)

中国、宋(そう)の思想家。字(あざな)は敬夫(けいふ)、一の字(あざな)は欽夫(きんぷ)。号は南軒(なんけん)。広漢(こうかん)(四川(しせん)省)の人、のち長沙(ちょうさ)(湖南省)に移り住む。宰相を務めた父、浚(しゅん)(1097―1164)の恩典で科挙試を経ずに南宋の官僚となった。当時、朱熹(しゅき)(朱子)、呂祖謙(りょそけん)(東莱(とうらい))と並んで東南の三賢と称されたが、48歳で在職中に病没した。二程(程(ていこう)、程頤(ていい))再伝の弟子である胡宏(ここう)に師事して聖学(聖人志向の儒学)を修め、日常行動のなかに仁の本体を体得しようとする知覚主義的な動の哲学(胡氏湖南学(こしこなんがく))を継承した。この学風は張を通して朱子の定説成立前の未定説に大きな影響を与えたが、のち張は逆に朱子の学説に同調し、湖南学から離れた。著作に『南軒文集』などがある。[福田 殖]
『楠本正継著『宋明時代儒学思想の研究』(1962/改定版・1964・広池学園出版部) ▽友枝龍太郎著『朱子の思想形成』(1969・春秋社) ▽福田殖著『張南軒』(『朱子学大系 第3巻 朱子の先駆 下』所収・1976・明徳出版社)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内の張栻の言及

【朱熹】より

…この同安県への赴任の途中,朱熹の生涯の師,李侗(とう)(延平)と出会い,それより10年にわたる師事を通して,道学に目を開かれ,当時の多くの知識人を吸引していた禅と決別する。34歳のとき,李延平の死ときびすを接して,湖南学派の俊才張栻(ちようしよく)(1133‐80)(南軒)と知りあい,彼から心のはたらきとその修養法について大きな影響を受ける。そしてついに40歳のとき,いわゆる朱子学の大綱を確立するのである。…

※「張栻」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

張栻の関連キーワード馬遠王応麟王圻会子砧青磁正法眼蔵竜泉窯哥窯南宋鄭樵

今日のキーワード

信長協奏曲(コンツェルト)

石井あゆみによる漫画作品。戦国時代にタイムスリップした現代の高校生が病弱な織田信長の身代わりとして生きていく姿を描く。『ゲッサン』2009年第1号から連載開始。小学館ゲッサン少年サンデーコミックス既刊...

続きを読む

コトバンク for iPhone