後河庄(読み)しつかわのしよう

日本歴史地名大系 「後河庄」の解説

後河庄
しつかわのしよう

古代の多紀たき郡に成立した奈良東大寺領庄園。武庫むこ川支流の羽束はつか川上流域を占め、現後川上しつかわかみ・後川中・後川下後川奥しつかわおく・後川新田の一帯に比定される。天暦四年(九五〇)一一月二〇日の東大寺封戸庄園并寺用帳(東南院文書)には「丹波国多紀郡後河庄田廿二町四段百歩」とあり、長徳四年(九九八)の東大寺領諸国庄家田地目録(同文書)には「多紀郡後河庄田廿八町三段二百五十六歩」とある。天喜三年(一〇五五)某月二八日の丹波国後河庄田堵等解(東大寺文書)によれば、丹波国司は鴨頭花紙五〇枚を後河庄に課し、国使の判官代為奈部兼安・県刀禰郷司が従類を率いて、後河庄の山野に乱入し、住人を追責めた。庄官である権検校・別当・専当や旧老田堵らは庄内に一歩の公田も存在せず、四〇〇年来このような国役が賦課されたことはないと庄園領主である東大寺政所に訴え、免除を要求した。しかし翌年七月二二日の丹波国後河庄司等解(同文書)では、前年の訴えに対し、東大寺政所は今年だけということで鴨頭花紙の弁進を認めてしまったため、東西を探して交易し弁進したところ、今年も国使判官代良弘が庄内に乱入し、鴨頭花を染進めるという請文を責め取ろうとしたうえ、前年分についても返抄を受取っていなかったため、決済を求めてきたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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