後藤快五郎(読み)ゴトウ カイゴロウ

20世紀日本人名事典 「後藤快五郎」の解説

後藤 快五郎
ゴトウ カイゴロウ

明治・大正期の実業家 米子商工会会頭;島根県議。



生年
元治1年5月9日(1864年)

没年
昭和2(1927)年1月11日

出生地
出雲国能義郡宇波村(島根県広瀬町)

旧姓(旧名)
小林

学歴〔年〕
松江中学校卒

主な受賞名〔年〕
米子市名誉市民

経歴
明治20年に島根県米子の名家後藤家養子となり、その11代目当主となって倉庫業・タバコ製造販売業などに従事。米子実業界の重鎮として米子商工会会頭を務めたほか、鳥取県会議員・米子町会議員を歴任するなど、政界でも活躍した。33年に山陰地方の鉄道開設事業が興ると、私財を投じて工事に協力。また、米子に駅や鉄道車両修繕基地を誘致するなど、鉄道の整備と地方の発展に貢献し、その功績をたたえて境線(現・山陰本線)の一駅に後藤駅の名称が付けられた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「後藤快五郎」の解説

後藤快五郎 ごとう-かいごろう

1864-1927 明治-大正時代の実業家。
元治(げんじ)元年5月9日生まれ。明治20年鳥取県米子町の後藤家の養子となり,倉庫業,たばこ製造販売業などをおこす。また境線の鉄道建設に協力し,その名は後藤駅としてのこる。米子商工会会頭などをつとめた。昭和2年1月11日死去。64歳。出雲(いずも)(島根県)出身。松江中学卒。旧姓は小林。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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