朝日日本歴史人物事典 「後高倉上皇」の解説
後高倉上皇
生年:治承3.2.28(1179.4.6)
鎌倉時代の上皇。天皇にならなかったが,上皇として院政をしいた。高倉天皇の第2皇子。母は贈左大臣(修理大夫)藤原信隆の娘の七条院殖子。安徳天皇の異母弟で,後鳥羽天皇の同母兄。諱は守貞。生後すぐ乳父の平知盛に引き取られ,寿永2(1183)年7月,安徳天皇と共に平氏の都落ちに伴われたが,平氏滅亡後帰京。上西門院に養われたのち,乳父持明院基家に引き取られた。祖父の後白河法皇の庇護のもと,文治5(1189)年11月親王となり,建久2(1191)年12月元服。即位の望みがないため建暦2(1212)年3月出家。法名は行助。後鳥羽上皇が幕府軍に敗れると(承久の乱),承久3(1221)年7月,鎌倉幕府は守貞の末子で10歳の後堀河を天皇に迎え,守貞に太上天皇の尊号を奉った。かくして後高倉院政が成立し,権臣西園寺公経が院を後見した。
(秋山喜代子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報