御厨・三栗野(読み)みくりや・みくりや

日本歴史地名大系 「御厨・三栗野」の解説

御厨・三栗野
みくりや・みくりや

中世にみえ松浦まつら郡の地名。御厨氏および御厨という地名は宇野うの御厨の称から直接に由来するものか明らかではないが、同御厨の執行職を有した松浦一族の拠点となったことに関連するであろう。値嘉十郎連の子の並が御厨氏の氏祖と伝え(「御厨氏系図」松浦市史文書)弘安四年(一二八一)御厨預所源右衛門太郎兵衛尉がモンゴル合戦の証人として誓状の提出を命じられている(同年八月一〇日「肥前国守護北条時定書下」山代文書)。同六年には御厨熊徳が宇野御厨の預所から無主の荒野一町を給田として与えられている(同年八月日「預所左兵衛尉源某宛行状」同文書)。弘安の役では筑後国木小屋きこや(現福岡県黒木町)地頭の香西度景ら一族が弘安四年閏七月五日に「肥前国御厨子崎」の海上でモンゴル船三艘のうち大船を追いかけ、敵船に乗り移って交戦に及んだという(同七年四月一二日「少弐景資書下写」五条文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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