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宇野御厨 うののみくりや

百科事典マイペディアの解説

宇野御厨【うののみくりや】

肥前国松浦(まつら)郡に設定されていたが,どこの御厨であったか不明。現長崎県松浦(まつうら)市に御厨の地名が残っており,この付近を中心にしたとみられる。鎌倉時代には宇野御厨荘・御厨荘とも称され,田数300町であったことが知られ,また1322年西園寺家に年貢の子牛を送った記録がある。
→関連項目青方氏値賀島松浦氏

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世界大百科事典 第2版の解説

うののみくりや【宇野御厨】

肥前国松浦郡(現,長崎県北松浦郡と南松浦郡の一部)の御厨。この地方は複雑な海岸線と多島海であることから海産物が豊富で,牛馬の飼育も盛んであったので御厨として設定されたものと思われるが,どこの御厨であったかは不明。平安時代初期には,筑前,筑後,肥前国にわたる広い水面を指していたが,平安時代末期以降は,上五島を含む北松浦郡地帯に限定されるようになった。宇野御厨の贄人(にえびと)は,田畑を開発し,根本開発領主として武士化し,松浦党と称された。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

宇野御厨
うののみくりや

肥前(ひぜん)国松浦(まつら)郡(長崎県南・北松浦(まつうら)郡)に設定された御厨。平安時代初期には、大宰府(だざいふ)の贄(にえ)貢進のため、筑前(ちくぜん)、筑後(ちくご)、肥前にわたる広い水面を含む地域に設定されていたが、平安時代末期には南・北松浦郡の地域に限定されるようになった。御厨の地名は現在の長崎県松浦市の中に残っている。鎌倉時代になると荘園(しょうえん)化して、宇野御厨庄(しょう)と称されるようになり、1292年(正応5)「肥前国河上宮(かわかみぐう)造営用途支配惣田数(そうでんすう)注文」には、「宇野御厨庄三百丁」とみえ、1322年(元亨2)には、西園寺(さいおんじ)家に年貢として小牛を進上している。南北朝動乱期以後は、荘園としての機能も失われ、単なる地域を示す名称として残存することになった。[瀬野精一郎]
『清水正健編『荘園志料 下』(1965・角川書店) ▽稲垣泰彦編『荘園の世界』(1973・東京大学出版会)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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