高度経済成長(読み)コウドケイザイセイチョウ

デジタル大辞泉 「高度経済成長」の意味・読み・例文・類語

こうど‐けいざいせいちょう〔カウドケイザイセイチヤウ〕【高度経済成長】

高度成長

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百科事典マイペディア 「高度経済成長」の意味・わかりやすい解説

高度経済成長【こうどけいざいせいちょう】

1960年代の日本経済成長率が年平均10%を越え,諸外国にも例を見ない急速な経済成長を遂げたことをいう。石炭から石油への転換エネルギー革命),〈所得倍増〉を唱える池田勇人内閣の成立(1960年)に始まり,合成繊維プラスチック家庭電器などの技術革新石油化学コンビナートなど大型化・集中化が進行し,モータリゼーションや,スーパーマーケットなどの流通革命も進んだ。所得向上は家庭電化など豊かな国民生活をもたらしたが,一方で物価上昇,大都市圏の過密農村などの過疎,そして公害など負の遺産も生じた。1973年の石油危機で高度成長に終止符を打った。
→関連項目池田勇人自由民主党所得倍増政策豊田英二日米貿易摩擦日本三波春夫山崎豊子

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世界大百科事典 第2版 「高度経済成長」の意味・わかりやすい解説

こうどけいざいせいちょう【高度経済成長】

1960年代の日本経済は,明治維新以来の日本の経験に例がなく,諸外国にも類をみないほど,急速な経済成長を遂げた。それを高度経済成長ないし単に高度成長と呼ぶ。またこの時期ないしこの時期を中心とした十数年間を高度成長期という。
【経済】
 この時期には実質成長率が10%を超える年がほぼ続いている(図)。1960年代全体の年平均実質成長率は10.7%であり,50年代の8.8%,70年代の4.5%よりも,明らかに高い。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「高度経済成長」の解説

高度経済成長
こうどけいざいせいちょう

1955年(昭和30)頃から始まり74年に終末を迎えた実質経済成長率10%におよぶ高度な経済成長。米欧技術導入・技術革新による大規模な設備投資と新産業開発を中心におこった,歴史的にもまれな長期にわたる経済成長であった。この結果,日本の伝統的な過剰労働力は解消し,産業構造は高度化して,68年にはアメリカに次ぐ資本主義世界で第2位のGNPという経済大国に躍進した。

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世界大百科事典内の高度経済成長の言及

【池田勇人】より

…蔵相,通産相時代,〈中小企業の一部倒産やむなし〉〈貧乏人は麦を食え〉の発言が問題にされたが,その後も,〈所得倍増〉〈農業人口の6割削減〉など経済成長主義の姿勢を一貫させた。60年安保条約反対闘争の高揚で辞職した岸信介の後を受けて首相となってからは,大平正芳,宮沢喜一らに支えられ〈低姿勢〉〈寛容と忍耐〉を唱えるなど,保守本流内閣としての柔構造を4年間,3次にわたって持続させ,日本経済が戦後復興を成し遂げ高度経済成長段階へ突入する過程を担った。【高橋 彦博】。…

【欧化主義】より

…しかし,これらの事実は,世界における東西両陣営の激しい冷戦とあいまって,むしろ西洋主義を急速に風俗化させることとなる。こうした状況のもとで,〈西欧に追いつき追いこせ〉という高度経済成長が進行するが,その一応の実現は,欧米先進国のみならず社会主義国にも行詰りないし根深い矛盾が顕在化したことを背景として,一方では,産業化=西洋化に対する根本的な疑問を惹起すると同時に,他方では,〈もはやモデルを外に求めえない〉という意識を生み出すことになった。有史以来,観念の世界ではなくて外の世界にモデルを求めてきた日本の伝統が,果たして打ち破られるかどうかは将来の問題である。…

【技術革新】より

…こうした同時平行性は,電力,全国通信網,土木建設などの領域でもきわだっている。自力による技術開発の場合,ひとつの技術革新が,産業の相互連関をとおして他部門の技術革新を誘発するまでにはどうしても時間がかかるが,戦後の日本の場合,これが技術導入の方法で,相互に関連する部門で同時平行的におこったことが,高度経済成長の異常なスピードを生んだといえよう。その点の差はあるが,革新が相互に革新を呼びつつ,単に生産面にとどまらず企業の行動形態,大衆の消費行動や日常生活の型,都市の構造,ひいては社会全体のあり方まで一変させていった点は,産業革命期のイギリスや20世紀前半のアメリカの場合と同じであった。…

【銀行】より

…この場合,外国の機関が重要な提携先として大きな役割を演じる場合も少なくない。 高度経済成長を支え,それに支えられてきた戦後日本の金融システムの特徴の多くは,低成長の到来とともに消滅する傾向をたどった。金利規制,専門金融機関主義,預金・貸出しを通じる顧客関係重視といったものの維持が困難となり,金利の自由化や金融の自由化が促され,市場競争が活発化したのである。…

【経営・経営管理】より


[経営・管理の語意]
 〈経営〉という言葉は今日,企業をはじめ行政,教育,宗教,組合など各種組織の運営にかかわる言葉として使われているが,日本語としていつごろ定着したかは確かではない。《日本国語大辞典》1940年版には,(1)縄張りをして土台をすえいとなみ造ること,(2)工夫をこらして物事をいとなむこと,とされ,中国春秋時代の《詩経》に(1)(2)の早い使用例があり,日本では(2)の使用例が室町時代の《太平記》にみられる。…

【日本資本主義】より

…日本の工業生産指数は,敗戦時の1946年に戦前(1934‐36基準)の約1/4に低下し,ドッジ・ラインの設定された49年までに約1/2に回復し,朝鮮戦争を経た51年に戦前水準を超えるに至るが,その間未曾有のインフレーションを収束し,生産復興を軌道づけた主要な契機は,第1に賃金抑制の物価体系の設定と基幹産業への重点的財政投融資およびアメリカの対日援助,第2に占領軍の対日政策の転換(1948年5月ドレーパー使節団報告)で具体化された政策(賠償緩和・集中排除緩和による日本経済自立化,対日援助打切り,均衡財政の確立,為替レート設定による貿易拡大)を強力に実施したドッジ・ライン(1949)であったが,しかしそれだけでは,すなわち第3の契機である1950年以後の朝鮮戦争ブームがなければ日本の急速な経済復興はありえなかった。【大石 嘉一郎】
【高度経済成長期】
 朝鮮戦争による特需景気で戦前水準を回復した日本経済は,1955年から73年の石油危機の勃発まで,20年近くにわたってめざましい高度経済成長を実現した。この間1957年,62年,65年,71年と数年おきに経験した景気後退期にも成長率はプラスを維持し,年平均の実質GNP成長率は約10%と,世界史的にも未曾有の高成長をなしとげたのである。…

※「高度経済成長」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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