茱萸沢村(読み)ぐみざわむら

日本歴史地名大系 「茱萸沢村」の解説

茱萸沢村
ぐみざわむら

[現在地名]御殿場市茱萸沢

川島田かわしまた村の北に位置し、村内を甲州道が縦断する。同街道は中世には鎌倉往還などともよばれ、古くから甲斐国と駿河国を結ぶ主要道の一で、当地は宿駅継立場として機能した。棠沢などとも書いた。

〔中世〕

天文二二年(一五五三)一一月二六日、葛山氏元は茱萸沢宿の伝馬の問屋芹沢玄蕃尉に対して、「萸沢内」の「居屋敷并門屋十間之分」の伝役・棟別・桑役・茶役、そのほかの諸役を末代まで免許するという特権を与えている(「葛山氏元判物」芹沢文書、以下断りのない限り同文書)。永禄二年(一五五九)一一月七日氏元は「御厨之内くミさわ宿」で駄賃稼をする者はすべて伝馬役を勤めることを命じ(葛山氏元朱印状)、同一〇年八月三日には古沢ふるさわの市に立つ諸商人は茱萸沢・二岡にのおか前・萩原はぎわらを通行することを強制している(葛山氏元朱印状)。さらに氏元は同月一七日、茱萸沢宿を統括する芹沢玄蕃允と竹之下たけのした宿(現小山町)の鈴木若狭守、神山こうやま宿の武藤新左衛門尉に対して、それぞれの宿で集めた過所銭と没収した「塩荷」を納入することを命じている(葛山氏元朱印状)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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