創建については明らかではないが、
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福岡県太宰府市に鎮座。旧官幣小社。玉依姫命を主神とし神功皇后,八幡大神を配祀する。宝満山頂に上宮,中腹に中宮,山麓に下宮がある。宝満宮ともいい《延喜式》には名神大社,これ以後に八幡神が配祀され,宝満大菩薩,宝満明神とも呼ばれた。840年(承和7)従五位下,1106年(嘉承1)正一位に昇る。伝えによると,1085年(応徳2)に〈九州の総鎮守で80庄の寄付を受けた〉という。1105年(長治2)大宰権帥藤原季仲らが神輿を射て流罪となる。1281年(弘安4)の蒙古襲来に加護があったといい,1466年(文正1)には地震祈禱を行った。中世には戦乱にまきこまれたが,1593年(文禄2)小早川隆景,1648年(慶安1)に黒田忠之が社殿を造営した。1618年(元和4)黒田長政,96年(元禄9)黒田綱政がおのおの25石を寄進した。神宮寺は天武天皇のころ心蓮の開基と伝え,竈門山寺,大山寺,有智山寺と号し天台宗に属した。僧坊370といわれ,中世には彦山(英彦山)と結んで修験霊場となり,少弐氏の居城となり,のち大友宗麟によって滅ぼされたが黒田氏によって25坊が復興した。胎蔵界の彦山に対する金剛界の霊場,修験の行場として盛んであったが,その後彦山から離れ,明治の神仏分離で修験僧は消滅した。例祭11月15日,厄除祭4月3日,春季祭4月8日,夏祭7月9日。宝物に狛犬,獅子頭がある。
執筆者:中野 幡能
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福岡県太宰府(だざいふ)市と筑紫野(ちくしの)市および糟屋(かすや)郡宇美(うみ)町の境にある宝満山(ほうまんざん)に鎮座。山頂に上宮(じょうぐう)が、山麓(さんろく)に下宮(げぐう)と社務所(太宰府市内山(うちやま))がある。玉依姫(たまよりひめ)を主祭神とし、神功皇后(じんぐうこうごう)・八幡大神(はちまんのおおかみ)を配祀(はいし)する。古来、この地方の霊山的存在であったが、大宰府(だざいふ)の建設に際し、その東北の鬼門(きもん)よけのため八百万神(やおよろずのかみ)を祀(まつ)ったのが神社の創祀であるという。延喜式内社(えんぎしきないしゃ)で、神階(しんかい)は正一位。仏教と習合し、竈門(かまど)山寺らの神宮寺が建立され、最澄(さいちょう)・円仁(えんにん)なども渡唐の際に祈願している。中世以降は修験(しゅげん)の霊場として栄え、盛時は370坊を有したが、明治維新の神仏分離令により、山伏(やまぶし)たちは離山した。1895年(明治28)に官幣小社。境内の祭祀遺跡、経塚(きょうづか)遺跡、寺跡は貴重。
[渡辺 寛]
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