日本歴史地名大系 「徳合城跡」の解説 徳合城跡とくあいじようあと 新潟県:西頸城郡能生町徳合村徳合城跡[現在地名]能生町徳合中世の北陸道を見下ろすトヤ峰(三〇〇メートル)周辺を本城とし、海岸線を望む筒石(つづいし)城、峰続きの大(おお)峰(四六四・七メートル)の大峰(おおみね)砦を支城としてもつ。東と西は数条の深い谷や尾根で切断され、南に大峰砦、北に筒石城を配し、要害堅固である。越中国境最前線の諸城と春日山(かすがやま)城(現上越市)との連係の要に位置する。現在中村の宝昌(なかむらのほうしよう)寺・神明社、数軒の民家のある地域は、周囲の田より一段高くなっており、これが館で、周囲の田はいわゆる泥田堀である。泥田堀は館全体を囲んでいたが、今は約一キロを残す。館と仙納(せんのう)との中間に木戸口(きどぐち)の地名があり、城の入口でもあり、北陸道の関所も兼ねていたと思われる。木戸口からセギの上(うえ)・弔屋敷(とむらいやしき)を経て、中腹で倉屋敷(くらやしき)からの道と合流して、トヤ峰の本丸に至る。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by