徳善院(読み)とくぜんいん

日本歴史地名大系 「徳善院」の解説

徳善院
とくぜんいん

[現在地名]佐賀市嘉瀬町大字中原字徳善

本庄江ほんじようえの西にあり、堀に囲まれている。山号は宝樹山。真言宗御室派。応永年間(一三九四―一四二八)に鍋島清久の祖父長岡経直(道寿)が僧幸純を開山として建立し、もと玉泉坊円城えんじよう寺といった。

その後清久(直茂の祖父)英彦山ひこさん権現を信仰して分霊を勧請し、また本庄ほんじようにあった館の大門をここに移したと伝えられ、以後徳善院権現もしくは徳善彦山と称した。鍋島勝茂英彦山に大きな銅の華表を寄進するなど英彦山と佐賀藩とは強い結付きができたが、その英彦山派の主要な寺院として藩の保護を受けた。勝茂は明暦元年(一六五五)に徳善院前の鳥居門前に一二坊を建立し、上六坊には清体の僧、下六坊には妻帯の山伏を住まわせたことが「肥前古跡縁起」や「石田私史」に記されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の徳善院の言及

【前田玄以】より

…豊臣政権下の京都の所司代。民部卿法印,徳善院と号する。五奉行の一員。…

※「徳善院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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