英彦山(読み)ヒコサン

デジタル大辞泉 「英彦山」の意味・読み・例文・類語

ひこ‐さん【英彦山/彦山】

福岡・大分両県にまたがる火山。標高1200メートル。奇岩で知られ、北・中・南岳の三峰からなり、中岳に英彦山神宮がある。えひこさん。

えひこ‐さん【英彦山】

ひこさん(英彦山)

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精選版 日本国語大辞典 「英彦山」の意味・読み・例文・類語

ひこ‐さん【英彦山・彦山】

  1. 福岡県大分県との県境にある火山。多数の奇岩怪峰が奇勝をつくる。頂上は三つに分かれ、中岳に英彦山神宮上宮がある。平安時代以来、修験道場として栄えた。耶馬日田英彦山国定公園の一中心。標高一二〇〇メートル。えひこさん。ひこのやま。比古高根(ひこのたかね)

えいげん‐さん【英彦山】

  1. ( 「英彦山」を音読したもの ) =ひこさん(英彦山)

えひこ‐さん【英彦山】

  1. ひこさん(英彦山)

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日本歴史地名大系 「英彦山」の解説

英彦山
ひこさん

山国やまくに町と福岡県田川郡添田そえだ町との境界にある。彦山とも書く。かつての豊前・豊後・筑前三国にまたがる英彦山山地の主峰で、標高一一九九・六メートル。北部九州随一の高山であり、早くから霊山として信仰の対象となっていた。のち山域には洞窟などの修験の道場が営まれ、遅くとも平安時代には彦山権現社・霊仙れいせん(現添田町英彦山神宮)を中心とした一山組織として整備される。中世には求菩提くぼて山、檜原ひばる(正平寺、現耶馬渓町)など豊前六峰とよばれた傘下の諸山を足掛りとして当山の修験は九州九国二島に勢力を拡大し、多数の末寺・末山を擁して君臨した。近世には京都聖護しようご院との本末争論に勝利して別本山を認められる一方、末派修験が各地に彦山講を普及させ、幕末期には山麓に宿坊二五〇、檀家は九州全土で四二万戸を数えたという。山頂はなか岳・きた岳・みなみ岳の三峰からなり、三角点は南岳に、英彦山神宮の上宮は中岳にあり、西方中腹の添田町英彦山には同宮奉幣殿がある。主要部は新第三紀後期から第四紀の火山活動で噴出・堆積した筑紫溶岩層と耶馬渓溶岩とからなる。山体は大きく、多くの支脈があり、東側は山国川、南側は筑後川支流花月かげつ川の水源地帯となっている。全山植物の宝庫であり、耶馬日田英彦山やばひたひこさん国定公園に指定される。なお古くは日子山と記したといい、のち彦山の用字がもっぱらであったが、享保一四年(一七二九)霊元上皇に英の尊号を受け、以後英彦山と記すようになった。

〔草創と発展〕

年代に疑問がもたれるが、建保元年(一二一三)に撰述されたという縁起書「彦山流記」(以下、流記と略称)によれば、当山は継体天皇二五年に藤原恒雄が開いたという。ところが元亀三年(一五七二)の「鎮西彦山縁起」(以下、元亀縁起と略称)によれば、開山は魏国の僧善正で、豊後国日田郡の狩人藤原恒雄が善正に帰依、出家して忍辱と号し、霊仙寺を開き、上宮三社を建立したという。ところで両縁起がともに当山開創に深くかかわった人物とする藤原恒雄については、朝鮮神話で始祖神とされる檀君の父桓雄(帝釈桓因の子)が投影されているとの見方もある。現在英彦山神宮は添田町にあるが、同地は古代には豊前田河郡に属した。郡内の香春かわら郷は「豊前国風土記」では新羅の国神の渡来した地とされるなど(同風土記逸文・「宇佐託宣集」)、古くから朝鮮半島とは密接な関係にあった。六世紀の新羅では弥勒信仰と結び付いた花郎(道)が隆盛であり、当山でも弥勒信仰の強い影響がうかがえる。


英彦山
ひこさん

主として添田町東部に位置する南北約三・五キロ、東西約五キロの山塊であるが、その主峰群の尾根は福岡県と大分県の県境(一部境界未定)をなし、東側部分は大分県下毛しもげ山国やまくに町に位置する。主峰群はみなみ岳、なか(上宮岳)、北岳を連ねた尾根で、最高地点は南岳の標高約一二〇〇メートルで、中岳および北岳も標高一一九〇メートル前後に達する。主峰群の北側中腹は豊前坊などが位置する標高七五〇―八〇〇メートルのなだらかな高原状地形を呈し、主峰群西側中腹の英彦山神宮銅鳥居付近も標高五〇〇―六五〇メートルの溶岩台地状の高原である。

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改訂新版 世界大百科事典 「英彦山」の意味・わかりやすい解説

英彦山 (ひこさん)

福岡県の南東部田川郡から大分県の北西部中津市にかけて位置する英彦山地の主峰で,標高1200m。主として新第三紀後期~第四紀の火山岩からなり,標高約800mまでは筑紫溶岩で,その上に輝石安山岩をのせている。輝石安山岩が浸食に対する抵抗が強いため,山頂部はビュート地形で3峰に分かれ,中岳には英彦山神宮が鎮座する。古くから山伏の修験道場として栄えたが,明治維新後の神仏分離により衰微し,現在では英彦山神宮の門前町的な小集落がみられるだけである。しかし,樹齢1200年,高さ60mの鬼杉の巨木(天)や伝雪舟作の旧亀石坊庭園,奉幣殿,銅(かね)の鳥居などの文化財に富み,耶馬日田英彦山国定公園に指定され,またスキー場のある鷹ノ巣原に国民宿舎キャンプ場,青年の家などがあって,春や秋の観光シーズンを中心に九州北部からの観光客が多い。JR日田彦山線彦山駅から豊前坊までバスの便がある。
執筆者:

古くは日子山と書き,嵯峨天皇のときに彦山と変わり,1729年(享保14)霊元上皇の院宣によって英彦山と書くようになった。英彦山は奈良時代の医僧法蓮の入峰以来,山伏の修験道場として栄え,最盛期には僧坊3800を数え,その信仰は九州一円に及び,大峰山,羽黒山と並んで日本の三大修験道場とされた。天狗や鬼がすむと伝えられるほど奇岩怪石に富み,中世末から近世期にかけて,本山派,当山派が全国的規模で修験道の組織化を推し進めていくなかでも,英彦山は東北の出羽三山とともにその独自性を保ってきた。

 英彦山信仰山岳信仰史・修験道史においても注目する点が少なくない。それは,修験道の教義的側面を発展させ指導的役割を担ってきたことと,古代から中世にかけての信仰を伝えていることであろう。たとえば弥勒兜卒(みろくとそつ)内院四十九院に擬した49窟の存在は,山中を駆けめぐる抖擻(とそう)修行が導入される以前の洞窟籠り修行を伝えている。また,ほぼ九州全域に分布する檀那に経済的基盤を置く以前は,〈四境七里〉と称された神領が基盤となっていたこともその一例である。さらに大陸との関係,三組一山という近世期支配体制,行事の変化と芸能など特筆すべき点が少なくない。しかし,明治の廃仏棄釈で修験的堂宇や仏像は奉幣殿を除いて大部分失われてしまった。なお,英彦山みやげとして彦山土鈴が古くから有名で,今でも農家の豊作祈願の呪具となっている。
英彦山神宮 →彦山派
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「英彦山」の意味・わかりやすい解説

英彦山
ひこさん

福岡県田川郡添田(そえだ)町と大分県中津(なかつ)市との境にある火山で、標高1199メートル。おもに安山岩からなる耶馬(やば)渓溶岩台地の一部が開析されてできた英彦山火山群の主峰で、山頂部は北岳、中岳、南岳の三峰からなり、中岳に英彦山神宮上宮がある。古くから大和(やまと)の大峰(おおみね)山、出羽(でわ)の羽黒(はぐろ)山と並ぶ山岳信仰の霊山として知られ、山伏の修験(しゅげん)場として盛時には山麓(さんろく)に3800余の坊舎が建ち並んでいたが、明治以降は神仏分離で衰退し、坊舎跡の多くは水田にかわった。国指定重要文化財の奉幣殿(ほうへいでん)、銅(かね)の鳥居、雪舟の作といわれ国の名勝に指定されている旧亀石坊(かめいしぼう)庭園などの文化財に富む一方、動植物の宝庫で、樹齢1000年を超える国指定天然記念物の鬼スギをはじめ、ブナの原生林やスギの美林に覆われて、耶馬日田(ひた)英彦山国定公園の指定を受けており、山頂からの眺望は雄大である。北東部にある鷹(たか)ノ巣山はビュート火山の奇峰で国指定天然記念物となっている。国民宿舎、青年の家、キャンプ場などの設備があり、一年を通じて北九州の手軽なレクリエーション地として行楽、参拝客が多い。国道500号が北麓を通り、九州旅客鉄道日田彦山(ひたひこさん)線彦山駅より神社下までバスで20分、山頂まで徒歩で2時間半ほどかかる。

[石黒正紀]

『田川郷土研究会編『英彦山』増補版(1978・葦書房)』


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百科事典マイペディア 「英彦山」の意味・わかりやすい解説

英彦山【ひこさん】

福岡・大分県境にそびえる山。標高1199m。耶馬渓火山の溶岩台地が開析されてできたメーサで,頂部は3峰に分かれ,中岳に英彦山神社がある。古代には日子山ともみえ,修験道の道場として知られる。その信仰圏は九州一円に及んだ。鬼スギ(天然記念物)などスギの巨木やモミ・ツガの原始林におおわれ,耶馬日田英彦山国定公園に属する。2005年10月に英彦山スロープカーが開業。
→関連項目犀川[町]修験道添田[町]山国[町]山国川

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「英彦山」の意味・わかりやすい解説

英彦山
ひこさん

福岡県南東部の添田町と大分県中津市との境にある山。標高 1199m。「えいひこさん」「えひこさん」とも読む。新第三紀層の安山岩質の溶岩台地が開析されて形成された山で,北岳,中岳,南岳の3峰からなる。平安時代以降は山伏の修験場として繁栄した。中岳に英彦山神宮がある。ブナ,モミ,ツガなどの原生林に覆われ,国の重要文化財の銅鳥居と奉幣殿,国の名勝の旧亀石坊庭園,国指定天然記念物の鬼スギなどがあり,冬季の霧氷も有名。耶馬日田英彦山国定公園に属する。

英彦山
えいひこさん

英彦山」のページをご覧ください。

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事典・日本の観光資源 「英彦山」の解説

英彦山

(福岡県田川郡添田町・大分県中津市)
21世紀に残したい日本の自然100選」指定の観光名所。

英彦山

(福岡県田川郡添田町・大分県中津市)
日本三大修験道場」指定の観光名所。

英彦山

(福岡県田川郡添田町)
福岡県文化百選 名勝・景観編」指定の観光名所。

英彦山

(福岡県田川郡添田町)
福岡県文化百選 歴史散歩編」指定の観光名所。

英彦山

(福岡県田川郡添田町・大分県中津市)
三彦山」指定の観光名所。

英彦山

(福岡県田川郡添田町)
森林浴の森100選」指定の観光名所。

英彦山

(福岡県田川郡添田町)
日本百景」指定の観光名所。

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